ディエゴ・コラレスとの因縁
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「ホセ・ルイス・カスティージョ」の記事における「ディエゴ・コラレスとの因縁」の解説
ディエゴ・コラレスとは3度の試合がマッチメイクされたが、どれも後味の悪いものとなった。 1戦目(2005年5月7日) この試合はWBCとWBOのライト級王座統一戦として大きな興行となる。試合自体は、序盤から接近しての激しい殴り合いの消耗戦になった。10ラウンドに入ると序盤にカスティージョのタイミングのいいパンチが決まりコラレスからダウンを奪った。コラレスは立ち上がったが、誰の目にもコラレスのダメージは大きく見え、ほぼグロッキー状態になり直ぐに2度目のダウンを奪う。立ち上がったコラレスは足元もふらついているように見え、通常であればテクニカルノックダウンが宣言されるような状態だったがレフェリーは試合続行を認めた。また激しい接近戦が再開され、今度はコラレスのパンチがカスティージョの顎を捉えた。カスティージョはロープに詰まっていたためレフェリーは試合続行を認めず、テクニカルノックダウンを宣言した。結局大逆転の10回TKO負けとなり、カスティージョはタイトルを失う。この試合はコラレスが2度のダウンの際、マウスピースを故意に吐き出して時間稼ぎをしたことと、レフェリーの試合を止めるタイミングが後々論争を呼んでしまったが、観客にとっては試合自体はお互いの意地を張った見ごたえのある試合となり、リングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤーに選出された。 2戦目(2005年10月8日) 初戦の論争の結果、リターンマッチが組まれたが、カスティージョは前日の計量にパス出来なかった。当日計量にもパスできず世界タイトル戦として組まれた試合であったが直前でノンタイトル戦となってしまう。試合自体は序盤からコラレスを圧倒し4回KOでカスティージョが勝利した。雪辱を果した形になったが、計量パスできなかったカスティージョは試合当日には重量でコラレスを大幅に上回っていたため、また論争を呼ぶ結果になってしまった。 3戦目(2006年6月3日対戦予定→中止) 結局2戦とも禍根を残す結果となり、ラバーマッチが組まれた。この試合の元々2006年2月4日に予定されていたがコラレスがわき腹を負傷したことで2ヶ月間延期された。前日計量でカスティージョは4.5ポンド体重超過の失態を犯す。前回の試合ではノンタイトル戦として試合を行うことを承諾したコラレス側も今回は試合をすることを拒否、試合は中止となり、カスティージョには6ヶ月の試合出場停止と罰金が課せられた。
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