テキサス・太平洋法案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/01 16:43 UTC 版)
「ジョン・W・ジョンストン」の記事における「テキサス・太平洋法案」の解説
ジョンストンが1877年の再選を求めていたときに、テキサス・太平洋法案の論争に巻き込まれた。これは北部と南部の鉄道に関する闘争だった。ジョンストンは、トム・スコットのテキサス・アンド・太平洋鉄道とその利権に有利な法案に反対した。スコットは各南部州が法案に賛成した上院議員を指名することになるように、その鉄道を認めさせる説得に努めていた。もしスコットがバージニア州議会に影響を与えることに成功すれば、ジョンストンがその法案に反対していることは知られていたので、議席の確保が難しかった。ジョンストンはある手紙の中で、「太平洋鉄道について私がなしたことが人民の前にあり、わたしがするであろうことであれば思い出せない。私の立場から撤退したり、そうすることを諦めるならば、それは政策ではなく、それが政策であれば、私は正しいと考えたのであり、今も考えている。それ故に結果を甘受する用意がある。わたしはその方針で戦い抜くつもりである。」と記していた。ウィリアム・マホーンはジョンストンの再選を阻止する方向に動いた。南部州の大半がスコットに同調したが、バージニア州とルイジアナ州は同調せず、ジョンストンは再選された。 テキサス・太平洋法案は、1876年アメリカ合衆国大統領選挙の後に起きた危機の中で、1877年妥協の取引材料の位置にあった。後の1878年、ジョンストンはこの鉄道、特に第942号法案を「南部の商業的に利権に対する積極的な脅威」と見なして、議会で反対演説を行った。
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