テオドロス2世時代とは? わかりやすく解説

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テオドロス2世時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 08:28 UTC 版)

エチオピアの歴史」の記事における「テオドロス2世時代」の解説

ティグレウーベカッサ従属していたが、ドイツ通じて領内に「諸王の王即位のための教会建設するなど、内心野心服従からの脱却求めていた。だが、その動きカッサ監視によって見抜かれカッサいち早くウーベ本拠地のセミエンに攻め込んでこれを占有するウーベティグレ編成した軍を率いて西進してくるが、カッサ迎撃によって粉砕された。こうして完全にエチオピア高地支配者となったカッサは、1855年諸王の王となる聖油式を行って正式な皇帝となる。皇帝となったカッサは、テオドロス2世名乗ったテオドロス1世伝説上でイスラム倒し腐敗飢餓といった国家災厄一掃した名君信じられており、そのためにカッサテオドロスの名を求めたまた、天啓書」ではテオドロスという名前について、「苦難から民衆を救う救世主的な王」とされており、それはカッサ求め理想の王の姿そのものだった。テオドロス2世となったカッサ戴冠式で「過去エチオピア帝国領土全て奪還し、王の権威全て集めて支配する」ことを誓い即位後ただちにウォロ (Wello) を攻めてマグダラ要塞を落とすと、その地を首都とした。続いてショワへも軍を派遣し、後のメネリク2世となるサハレ・マリアムを捕らえ戦果をあげて支配下に置き、エチオピア帝国旧領取り戻すことにほぼ成功する

※この「テオドロス2世時代」の解説は、「エチオピアの歴史」の解説の一部です。
「テオドロス2世時代」を含む「エチオピアの歴史」の記事については、「エチオピアの歴史」の概要を参照ください。

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