ティビッツの元へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:23 UTC 版)
「ソロモン・ノーサップ」の記事における「ティビッツの元へ」の解説
1842年冬、フォードはノーサップを、彼の水車場で大工として働いていたジョン・M・ティビッツ(英: John M. Tibaut)へ売却した。彼はフォードのプランテーションで、機織り小屋や製粉工場(英語版)を作る手助けをしていた。ティビッツは買い取り代金の全額までは用意できなかったので、フォードはノーサップに対し400ドル(2020年時点の$10,385と同等)の動産譲渡担保(英語版)を付け、これによりティビッツはフォードに借りができて、ノーサップは借金の担保として扱われた。 ティビッツの管理下で、ノーサップは残酷で衝動的な扱われ方に苦しんだ。彼はフォードの農園でノーサップを使い、完璧な建築が出来るよう自分の仕事を手伝わせた。ある時には、ノーサップが使う釘が気に入らないという理由で、彼を鞭打ったこともあったが、この時ノーサップは彼の背後に回り込み、逆にティビッツをひどく殴りつけた。激怒したティビッツは、2人の友人を誘ってノーサップにリンチを仕掛け、彼を吊したが、この行為は奴隷の主人へ法律的に許可されていたものだった。フォードの農園の監督者であるチェイピンが現れ、ティビッツにフォードへの借金を思い出させ、銃で脅して追い払ったことから、ノーサップは殺されずに住んだが、彼はフォードが帰宅し縄を切るまで、首つり縄で吊されたまま放置された。ノーサップは、ティビッツの借金が彼の命を救ったのだと考えていた。歴史学者のウォルター・ジョンソン(英語版)は、ノーサップは恐らくティビッツが購入した初めての奴隷で、これが移動労働者から地所持ちの主人になる過渡期を決定づけたのだろうと示唆している。 ティビッツは地元で悪評高い人物だったが、再度ノーサップを殺そうと決意した。ティビッツは2人きりになったところで、斧を振り上げノーサップを殺そうとしたが、またもノーサップは自衛し、逆に素手でティビッツの首を絞め失神させた。ノーサップは犬に追われないよう沼地を通ってフォードの家に逃げ込み、フォードの側も彼を4日家に泊めた。フォードは彼らの諍いを収めるため、ティビッツに対してノーサップを賃貸しして、彼の仕事に見合った額をティビッツが受け取ればよいと提案した。 ティビッツはノーサップを、レッド川の南38マイル (61 km)に住んでいる農園主エルドレット(英: Eldret)へ賃貸しした。ノーサップが「巨大なサトウキビの藪」(英: "The Big Cane Brake")と呼んだ農園で、エルドレットはノーサップをはじめとした奴隷に対し、綿花畑を作れるよう、低地広葉樹林(英語版)に生えるサトウキビや雑木、下草を刈り取るよう言いつけた。5週間後、作業がまだ終わらない内に、ティビッツはノーサップをエドウィン・エップス(英: Edwin Epps)へ売り払った。
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