チャレンジャー海淵計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 10:00 UTC 版)
「ジャック・ピカール」の記事における「チャレンジャー海淵計画」の解説
詳細は「トリエステ (潜水艇)」を参照 ジャックは、アメリカ海軍からの財政援助を受けて潜水艇トリエステを作り、そのままコンサルタントとして雇われた。アメリカ海軍は海底に沈没した物資引き上げなどの目的で海底探検の価値を認め、トリエステを使ってより深い海の探検を模索した。 1960年1月23日、ジャックはアメリカ海軍大尉のドン・ウォルシュと共にマリアナ海溝のチャレンジャー海淵の底まで潜り、当時の水深計で10,916メートルを示す位置まで到達した。ただし1995年に測定しなおしたところ、正確には10,911メートルであった。降下には5時間を要し、水深9000メートルで船体に大きな異音があったが、そのまま底まで潜り続けた。海底に20分間滞在し、3時間15分かけて上昇した。 この潜水は世界中の注目を集め、ジャックは計画推進に協力した地質学者のロバート・ディーツと共著で『7マイルの潜行』(Seven Miles Down. 日本語訳題『一万一千メートルの深海を行く』)を書いた。しかしながら、深海探検はこれが最後となった。トリエステは維持費が高く、しかもただ潜るだけの装置でありサンプル採取や写真撮影ができなかったからである。トリエステは1961年に廃船となった。ただし後に改良型のトリエステ2が作られ、沈没したアメリカ海軍原子力潜水艦のスレッシャーとスコーピオンの残骸を発見している。
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