ダバオ攻略
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「フィリピンの戦い (1941-1942年)」の記事における「ダバオ攻略」の解説
1941年12月7日午後9時35分、第一天候偵察隊の陸攻2機が台南基地を発進。午後11時30分、第二天候偵察隊の陸攻2機が発進。偵察の結果、攻撃隊の夜間進撃が可能な状態と判断された。8日午前0時15分、この偵察を探知した米軍はイバ、クラークに全機15分待機を下令し、その後日本の偵察機要撃のため、戦闘機を発進させ、日本の高雄通信隊はそれらを傍受した。 日本の各航空部隊は8日午前2時30分の発進の準備を進めていたが、濃霧が発生し、「〇五〇〇以後二時間待機」を命じ、攻撃隊の発進を遅らせた。また、マニラ地区の攻撃を中止して第一撃をクラーク、イバ両基地に集中する作戦に変更された。午前3時20分、航空部隊司令部はハワイ奇襲成功を知り、続いて米太平洋艦隊司令長官がアジア艦隊に対して作戦開始を発令したことも承知した。 8日、太平洋戦争の開戦劈頭、フィリピンに対する航空攻撃は理想的成果を収め、翌9日は天候不良のため十分な活動ができなかったが、10日には第11航空艦隊がマニラ周辺航空基地および海軍基地を攻撃し、米航空戦力のほとんどを壊滅したため、先遣隊の上陸は大きな航空被害を免れた。20日、ダバオ攻略部隊は大きな抵抗を受けることなく上陸に成功し、ダバオ市を占領した。
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