ダバオ地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/05 10:01 UTC 版)
ザンボアンガに続きアメリカ軍は4月27日にダバオ湾デゴス飛行場に突入。ダバオ地区は、4月30日から陸軍の第100師団師団長の原田次郎中将が陸海軍全部を統一指揮し、在ダバオ海軍はその指揮下で戦った。 特に32特根第二大隊澁谷中隊の善戦は目覚ましく、7割戦死の犠牲を払って前進陣地を確保しアメリカ軍の鋭鋒を転じさせた。大川内傳七南西方面艦隊司令長官は賞詞を贈ってこれを讃えたが、5月下旬にはダバオ市街までアメリカ軍に制圧され、5月31日、原田師団長はダバオ地区の陸海軍全部隊に対し長期自活態勢を命じた。32特根は、7月1日から山中での自活自戦を「金鵄作戦」と称し士気高揚に努めたが、アメリカ軍の掃討戦による戦死者、栄養不良による餓死者、マラリアによる戦病死者を多数出して終戦を迎えた。 アメリカ軍進攻時の在ダバオ海軍兵力は約12,000名であったが、終戦時収容されたのは約8,000名。土井司令官、島村活二参謀兼副長などの司令部は復員できた。
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