タッグチーム王者として(2012年9月~2013年4月)
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「ヘル・ノー」の記事における「タッグチーム王者として(2012年9月~2013年4月)」の解説
サマースラム戦の後、ケインはブライアンとの再戦を要求してますます暴力的になり、ブライアンはファンが"Yes"チャントを繰り返すことに耐え切れず、試合やインタビュー中に怒りを爆発させるようになった。ブライアンとケインの問題を解決するため、AJは2人をDr.シェルビーのアンガーマネジメントクラス(日本語字幕では「怒り抑制セラピー」)に参加させ、その後"Hug it Out"(ハグしてわだかまりをなくす)を行うように命じた。Dr.シェルビーとAJは2人を、タッグチーム王座戦の第一挑戦者を決定するためとしてプライムタイム・プレイヤーズ (タイタス・オニール&ダレン・ヤング)と対戦させることを決定。9月10日のRAWで敵対する者同士の2人は小競り合いや内紛をしながらも、結果的に勝利し、王座戦の第一挑戦者に内定した。さらにはナイト・オブ・チャンピオンズにて王者であるコフィ・キングストン&Rトゥルースにも勝利し、タッグチーム王者となった。ブライアンとケインはRAWにて前王者からの再戦にも勝利することに成功。翌週のRAWではファンからの投票によってヘル・ノーがタッグチーム名として決定した。 2012年10月28日のヘル・イン・ア・セルでヘル・ノーはローデス・スカラーズ (コーディ・ローデス&ダミアン・サンドウ)に反則裁定で敗れたものの、王座は保持した。10月29日のRAWで、ダニエル・ブライアンとケインはチームフォーリーのメンバーに選ばれ、サバイバー・シリーズの伝統であるチーム・エリミネーション・マッチでチームジグラー と対峙することとなった。また、2人はWWE Main Eventでローデス・スカラーズからの再度の挑戦も退けた。12月3日のRAWで、ミズTVにCMパンクが参加する中、ザ・シールドに襲われていたライバックの手助けをしたことで、ベビーフェイスとヒールの中間というキャラクターを確立した。騒乱のなか、パンクは膝を負傷。ライバックはTLCにて彼の持つ王座にTLC戦で挑戦するはずだったが、ビンス・マクマホンによって、TLCにてチームヘル・ノーと組んでザ・シールドとTLC戦を行うことが決定されたものの、敗北した。その後もローデス・スカラーズと抗争を続け、結局のところ王座戦では3戦全て防衛。他にもNXTでジョニー・カーティス&マイケル・マクギリカティ、RAWで3MBから王座防衛。ロイヤルランブルやエリミネーション・チェンバーではブライアンがケインを裏切って脱落させ(ようとし)たり、その後のRAWやスマックダウンでプライムタイム・プレイヤーズ戦で目隠しや片腕縛りの状態で試合を行ってからの仲間割れなど、喧嘩の種も多いが大きな仲たがいは起こさず、続くプライムタイムとの普通の試合では平常通りの勝利を挙げた。レッスルマニアではドルフ・ジグラー&ビッグ・E・ラングストンから王座防衛。
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