タイチウト氏
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タイチウト氏(タイチウトし、Tayičiud)は、モンゴル高原で活動した遊牧民の氏族集団。モンゴル部のボルジギン氏の一支族であり、オノン川中下流域[1](あるいはセレンゲ河畔[2])で遊牧生活を営んでいた。同族のキヤト氏と共にモンゴル部の中核を成していた[3]。キヤト氏との抗争の末、チンギス・カンによって屈服させられた。
注釈
- ^ 『元朝秘史』には「主因亦児堅」という文字で書かれる。この「主」ǰü~ǰuが、『遼史』『金史』あるいは『元史』に「乣」という特殊な文字で写されたものの原音と見られるが、『黒韃事略』の説明によると、五十人を一隊として編成された国境防備のための外人傭兵部隊を指すものであった。おそらくは契丹語に由来する語であって、最初は遼朝下で保有を許された王侯貴族の私属の軍隊を名指したが、次の金朝にはいると、この語は自国の覇絆の下に置かれた北方遊牧民から編成した国境守備隊を意味するように使用されて、奚族から出た「咩乣」、タングート族から出た「唐古乣」、モンゴル族から出た「萌骨乣」などの多くの乣軍の名が輩出するようになったらしい。ここに見える「タタル乣」もその一つであろう。≪村上 1970,p69≫
出典
- ^ 白石『チンギス=カンの考古学』、50頁
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』1巻、11頁
- ^ 白石『チンギス=カンの考古学』、47頁
- ^ a b c 『モンゴル秘史 1 チンギス・カン物語』、56頁
- ^ 村上1993,230-232頁
- ^ a b c 本田「タイチュート」『アジア歴史事典』6巻、50頁
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』1巻、33-34頁
- ^ 白石『チンギス=カンの考古学』、50-53頁
- ^ 白石『チンギス=カンの考古学』、53頁
- ^ 『モンゴル秘史 1 チンギス・カン物語』、102頁
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』1巻、37頁
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』1巻、52頁
- ^ ドーソン『モンゴル帝国史』1巻、10,52頁
- 1 タイチウト氏とは
- 2 タイチウト氏の概要
- 3 参考文献
- タイチウト氏のページへのリンク