ソロ・デビュー~初期
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1988年、淫心のメンバーでロンドンに滞在中、セカンド・サマー・オブ・ラブの別称でも知られるアシッド・ハウス・ムーヴメントに遭遇、グループ名を ファー・イースト・アシッド・ハウス・クワルテット( Far East Acid House Quartet)と変更して再出発。以後、同バンドは日本とヨーロッパのアンダーグラウンド・シーンを中心にサイケデリックトランス、レイヴ・バンドの草分けとして活動(〜1997年解散)。 同1988年、初のソロ・アルバム『燐光(Phosphorescence)』をニューヨークのNerve Nets Recordsより発表(「Siamese Twin」名義)、ソロデビュー。同作を本人は「アシッド・ミュージック(Acid Music)」「サイケデリック・テクノ(Psychedelic Techno)」等と呼んでいた。デビュー当時は覆面作家であり、Siamese Twinとは日本語で「シャム双生児」を意味する不気味なペンネームで、プロフィールなども一切明かされなかった。 1989年、世界単独放浪の旅を挙行。ヨーロッパ、アジア各地を巡り、アメリカに渡る。ニューヨーク滞在中、現地でトランス・ユニット「Psychedelic Plants Research Laboratory」(幻覚植物研究所)名義での野外ゲリラ・ライブをニューヨーク各地でおこなう。のちに野外レイヴの先駆と見なされている。1991年(推定)オランダ(アムステルダム)に移住。主にヨーロッパ、アメリカ、日本等を拠点として国際的に活動をおこなう。 一方、ソロ・アーティストとして、『木霊(Echoes)』(1990年)、『荒廃(Ruins)』(1993年)、『伽藍(Cathedral)』(1995年)などのソロ・アルバムを発表。これらの三作は「シンフォビエント三部作(Symphobient Trilogy)」として完結。アンビエントサイケ、トランス、クラシックなどを独自な手法で合成したような神秘的ムードの作品群であった。
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