ソウル五輪代表選考での発言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 15:29 UTC 版)
「中山竹通」の記事における「ソウル五輪代表選考での発言」の解説
ソウルオリンピック代表選考における瀬古利彦への扱いを巡り語ったとされる「瀬古、這ってでも出てこい!」という発言(実際の発言内容については後述)は、中山の個性を端的に表すものとして付きまとうことになった。 当時、ソウル五輪の男子マラソン選考会は次の通り設定されていた。 福岡国際マラソン 東京国際マラソン びわ湖毎日マラソン 但しオリンピック候補選手、強化選手は必ず福岡に出場することとされ、実質「福岡一発選考」とされた。 しかし瀬古利彦が怪我で欠場したことにより、瀬古の福岡欠場時に怪我をした瀬古への配慮として日本陸上競技連盟は、「瀬古利彦はびわ湖毎日マラソンで好成績を出せば良い」との判断が出されたとされ、半ば後出し同然で代表選考は福岡一発選考ではなくなった。瀬古はびわ湖で平凡な記録ながら優勝し、結果としてソウルオリンピック代表に選ばれた。 メディアは挑発的な響きを帯びた表現を「中山の発言」として用いたが、中山自身は瀬古欠場の感想を問われたのに対して「自分なら這ってでも出ますけどね」と答えている。 中山は引退後の1999年のインタビューで瀬古について「(仲が)いいとか悪いとか、そういう親しい関係ではなかったし、あくまでも自分の大きな目標だった。尊敬していなければ目標にはならない」と述べている。 2010年1月26日に、東京マラソン関連のイベントとして開催されたトークショーに瀬古とともに出演し、「和解の握手」を交わした。トークショーの冒頭に瀬古が「オレは中山のことが好きだけど、中山は(オレのことが)嫌いだった」と発言したのに対し、中山は「ずっと雲の上の存在。それと勝負とは違う」と返答した。
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