セミプロ時代とは? わかりやすく解説

セミプロ時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/17 16:13 UTC 版)

アングロ=イタリアン・カップ」の記事における「セミプロ時代」の解説

シーズン優勝準優勝1976 モンツァ ウィンブルドン 1977 レッコ バース・シティ 1978 ウディネーゼ バース・シティ 1979 サットン・ユナイテッド キエーティ 1980 トリエスティーナ サットン・ユナイテッド 1981 モデナ プール・タウン 1982 モデナ サットン・ユナイテッド 1983 コゼンツァ パドヴァ 1984 フランカヴィッラ テーラモ 1985 ポンテデーラ リヴォルノ 1986 ピアチェンツァ ポンテデーラ アングロ=イタリアン・カップは、1976年3月セミプロトーナメントという形で復活し両国からそれぞれ6チーム参加した決勝戦にはウィンブルドンモンツァ勝ち上がりモンツァ1-0勝って無敗大会終えたその後2年間はバース・シティがイングランド側の決勝進出チームとして残ったが、1977年レッコ1978年ウディネーゼそれぞれ敗れた。この時期大会名がアリタリア・チャレンジカップ(Alitalia Challenge Cup)に変更されていた。1979年両国からそれぞれ4チーム参加した。サットン・ユナイテッドが2-1キエーティ破り、これがセミプロ大会になってからは最初の、そして唯一となるイングランド勢の優勝チームとなった。サットン・ユナイテッドは翌1980年決勝進んだが、トリエスティーナ敗れてタイトル防衛失敗した大会がタルボット・チャレンジカップ(Talbot Challenge Cup)と呼称されるようになった1981年は、モデナ優勝した1982年大会創始者ジジ・ペロナーチェにちなみ、大会がジジ・ペロナーチェ・メモリアル(Gigi Peronace Memorial)と改名され、4チーム参加したこの年から大会フォーマット大きく変更され準決勝イングランドイタリアクラブ対戦するようになり、そのため決勝では同じ国のクラブ同士対戦する可能性生まれたこの年決勝では前回優勝モデナがサットン・ユナイテッドを降した大会廃止されるまでの以降4年間の決勝進出チームがすべてイタリア勢によって占められたので、サットンはセミプロ時代のアングロ=イタリアン・カップにおいてイングランド勢として最後決勝進出チームとなった

※この「セミプロ時代」の解説は、「アングロ=イタリアン・カップ」の解説の一部です。
「セミプロ時代」を含む「アングロ=イタリアン・カップ」の記事については、「アングロ=イタリアン・カップ」の概要を参照ください。

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