スポーツ放送法の成立
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「1961年のメジャーリーグベースボール」の記事における「スポーツ放送法の成立」の解説
1961年9月にアメリカ議会は「スポーツ放送法」を可決して、ジョン・F・ケネディ大統領が署名してただちに発効した。この法律が生まれた契機はベースボールでなく実はアメリカンフットボールから起ってきた事であった。前年にアメリカン・フットボール・リーグ(AFL)が設立されたが、資金難でリーグ全体が破産に追い込まれることを危惧したニューヨークのチームオーナーが、AFLの試合をテレビで全国放映する権利をまとめてABC(アメリカの三大ネットワークの1つ)に売り込み、誕生したばかりのAFLの財政を持ち応えさせた。これを見てライバルリーグの老舗ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)が翌年にやはりリーグ全体の試合の全国放送の独占権をCBSに与える契約を結んだ。これに対して司法省が独占禁止法に抵触するとして告訴し、個別のチームが本来得られるはずの放送権料を取り上げて不当に制限しているとした。これに対してプロスポーツのリーグにとって一括契約は存続に必要なもので、かつ各チームの収入を平均化しリーグをバランスが取れた状態にするもので、その努力が妨げられるとしてフットボールの他にMLBや他のプロリーグがこの決定を修正する決議を議会に要請して、結果この一括契約が反トラスト法の適用外であることが「スポーツ放送法」で認められた。やがてこの一括契約はテレビ放映権料の高騰とともにリーグの大きな収入源となった。 メジャーリーグでは、まだこの時点では各球団と地元テレビ局との個別契約であったが、既に1949年にはワールドシリーズとオールスターの全国放送の契約を結んでいて、この「スポーツ放送法」の成立で三大ネットワークと一括契約を結ぶこととなった。これが契約金額の高騰とともに1968年になって選手の年金問題と絡んで選手とオーナーの間で労使間での紛争に発展することになる。
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