スペイン人の定住と総督領の形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 00:00 UTC 版)
「フィリピン総督領」の記事における「スペイン人の定住と総督領の形成」の解説
1574年、ヌエバ・エスパーニャに従属するものとしてフィリピン総督領が設立された。1584年には国王フェリペ2世によってフィリピンにアウディエンシアが設立され、国王はその長官(プレジデンテ)をフィリピン総督領の総督に任命した。総督領は、1565年から1595年の間は首都をセブに、1595年から1898年の間はマニラに置いた。 海外進出を進めた初期のブルボン朝時代に行われた広範囲にわたる政治改革の一環として、1784年7月17日、王令によってマニラでインテンデンシア制(スペイン語版)が導入された。これは政府の財政に関する問題に対処し、経済を促進するものであった。シリアコ・ゴンザレス・カルバハル(スペイン語版)はマニラのアウディエンシアの聴訴官(オイドール(英語版))に任命され、ラプラタ川で制定された1782年の市長の王立条例に従うように指示された。カルバハルは、イロコス、カラマリン、イロイロ、セブにおいてもっとインテンデンシア制を導入することを提案した。これらは1786年11月24日に建てられたが、後の1787年11月20日に王令によって廃止された。1ヶ月前の10月23日、マニラのインテンデンシアがフィリピン総督領に付属した。 1822年まで総督は全て文民が務めたが、それ以降は軍人が務めた。島の数が多く、また地区が広いので、19世紀後半には非常に多くの従属する地方政府と軍事集落が設立された。
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