スタンウェル・プレイスとは? わかりやすく解説

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スタンウェル・プレイス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/20 06:08 UTC 版)

スタンウェル・プレイス
Stanwell Place
1944年撮影
概要
用途 下塗り煉瓦造
所在地 スタンウェル
座標 北緯51度27分32秒 西経0度29分28秒 / 北緯51.459度 西経0.4912度 / 51.459; -0.4912
完成 19世紀はじめ
解体 1960年代
寸法
他の寸法 およそ30室
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スタンウェル・プレイス (Stanwell Place) は、かつてミドルセックス州(現在はサリー州)スタンウェルの集落の西にあった屋敷(マナー・ハウス)、ないしは、それに付随した広大な土地(エステート)、小作農場の総称。17世紀から建設が始まり、20世紀半ばに大部分が貯水池建設のために売却されたほか、小さな区画に分割売却されて無くなった。

スタンウェルの集落から半マイルほど西へ離れた、パーク・ロードの北側にある敷地には、17世紀にはマナー・ハウスが存在していた[1]。この敷地にあった最後の建物は、1754年から1933年までマナーの諸権利を保有していたギボンズ家 によって、19世紀初めに建てられたとされている。建物は2階建てで、セメントが塗られ、パラペットの背後には緩い傾斜の屋根があった。後から増築された西翼は煉瓦作りで、付随する小屋などの中には主屋より古いものもあった。

周囲の庭は18世紀に作庭された。スタンウェル・プレイスへのいくつかの門があったあたりでパーク・ロードが大きく曲がっているのは、おそらくは、1760年にサー・ジョン・ギボンズ (Sir John Gibbons) がこの道の線形を変更したためであろう。1771年にギボンズ家はバラ・フィールド (Borough Field) を囲い込み、庭の範囲は東はオークス・ロード (Oaks Road) まで、北はバラ・グリーン (Borough Green) まで広がり300エーカー (1.2 km2)以上の広さになった。しかし、その後は徐々に規模が縮小した[2][3]

ギボンズ家は1933年に、土木技術者のジョン・ウィルター・ギブソン (John Watson Gibson) に、スタンウェル・プレイスを売却した。ギブソンはスタンウェルに移り住み、リトルトン (Littleton) で、(当時は世界最大の貯水池であった)クイーン・メアリ貯水池 (Queen Mary Reservoir) の建設に従事していた。ギブソンは、当初スタンウェル・ロッジに住んだが、90エーカー(36ヘクタール)のスタンウェル・プレイスと、付属する261エーカー(104ヘクタール)の農場(Stanhope farm、Hammonds farm)を購入した[4]1936年、首都水道局 (Metropolitan Water Board) はギブソンのエステートの大部分にあたる、契約書によれば346エーカー(138ヘクタール)の土地を買い上げた[5]。.1947年には、この土地を使ってジョージ6世貯水池 (King George VI Reservoir) が開発された[4]

第二次世界大戦中の1943年から1944年にかけて、ギブソンは軍需省で土木技術担当の事務総長特別補佐 (deputy director-general civil engineering (special)) となり、当時極秘事項であったマルベリー・ハーバー (Mulberry harbour) の建造に関わった中心人物のひとりとなった。こうした経緯から、ギブソンは自宅であったスタンウェル・プレイスを連合国遠征軍最高司令部 (Supreme Headquarters Allied Expeditionary Force, SHAEF) の司令官たちに提供し、ノルマンディー上陸作戦の決行日 (D-Day) に向けた最高級の会議が2回、ここで開催された。出席した米軍司令官たちヘンリー・スティムソン陸軍長官)、ジョージ・マーシャル陸軍参謀総長、大将)、ドワイト・D・アイゼンハワー(連合軍最高司令官、元帥)、アーネスト・キング(海軍作戦部長、合衆国艦隊司令長官、大将)、ヘンリー・アーノルド陸軍航空軍、大将)らは、会議の期間中スタンウェル・プレイスに滞在した[6]

1947年にギブソンが亡くなると、翌1948年に、スタンウェル・プレイスの住居部分22エーカー(9ヘクタール)はイラク王国の国王ファイサル2世 (King Faisal II of Iraq) に売却された[3]。ギブソンの息子たちは、スタンホープ農場 (Stanhope farm) の17エーカー(7ヘクタール)を引き続き所有した[5]。1958年に国王が暗殺され[3]、エステートはその後、砂利採取場とするために売却された。地域住民による保存運動もあったものの屋敷は荒廃し、1960年代に建物は撤去された。

出典・脚注

  1. ^ Google Maps – Location of Stanwell Place (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc.
  2. ^ A History of the County of Middlesex: Volume 3: Shepperton, Staines, Stanwell, Sunbury, Teddington, Heston and Isleworth, Twickenham, Cowley, Cranford, West Drayton, Greenford, Hanwell, Harefield and Harlington”. pp. 33-36 (1962年). 2012年3月21日閲覧。
  3. ^ a b c A History of the County of Middlesex: Volume 3: Shepperton, Staines, Stanwell, Sunbury, Teddington, Heston and Isleworth, Twickenham, Cowley, Cranford, West Drayton, Greenford, Hanwell, Harefield and Harlington”. pp. 36-41 (1962年). 2012年3月21日閲覧。
  4. ^ a b Local List - Statement of Public Consultation. Stanwell Borough Council. (December 2003) 
  5. ^ a b Reynolds, Susan (1962年). “A History of the County of Middlesex: Volume 3”. british-history.ac.uk. 2010年1月2日閲覧。
  6. ^ "Burial Monument of Sir John Gibson" inLocal List of Buildings and Structures of Architectural or Historic Interest” (PDF). Spelthorne Borough Council (2004年2月). 2012年3月21日閲覧。

スタンウェル・プレイス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 04:14 UTC 版)

スタンウェル」の記事における「スタンウェル・プレイス」の解説

スタンウェル・プレイスは、集落から半マイルほど西へ離れたパーク・ロード北側にある17世紀マナー・ハウスの跡である。1754年から1933年までは、ギボンズ家 (the Gibbons) がマナー関わる諸権利有しており、1800年代以降は、徐々にそのエステート売却していった。屋敷含めた一帯1933年にジョン・ウィルター・ギブソン (John Watson Gibson) に売却されたが、その一部にあたる330エーカー (1.3 km2)は、1937年にはジョージ6世貯水池 (King George VI Reservoir) の開発のために水道局 (Metropolitan Water Board) に転売された。ギブソン死後1947年に、スタンウェル・プレイスは、イラク王国国王ファイサル2世 (King Faisal II of Iraq) に売却され1958年国王暗殺されるまで、その所有とどまっていた。エステートその後砂利採取場とするために売却され地域住民による保存運動もあったものの屋敷荒廃し1960年代建物撤去された。

※この「スタンウェル・プレイス」の解説は、「スタンウェル」の解説の一部です。
「スタンウェル・プレイス」を含む「スタンウェル」の記事については、「スタンウェル」の概要を参照ください。

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