ジンサク活動期におけるソロ活動(1990年代)
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1990年、カシオペアから脱退した櫻井と神保の2人はシャンバラ以外にフュージョン・シーンで活動するジンサクというユニットを結成する。1990年代前半、神保はジンサクの活動と併行して、カシオペア在籍時代から引き続いてロサンゼルス・レコーディングによるソロ名義のアルバム制作も毎年行っていき、アルバムのプロデューサー兼現地コーディネーターの松居和の尽力により、アメリカでも発売されていくようになった。しかも、国内よりもスムースジャズが盛り上がっていたアメリカの方で話題を呼び、現地ではプロモーション・ライブも行われていた。 1992年、初めてのビデオソフト『Metamorphosis』を制作。ドラム演奏のテクニックを伝授する教則ビデオで、収録されている楽曲のデモ演奏パートには、ジンサクのライブで披露されていた櫻井哲夫とのドラム&ベースによるデュオ演奏のほか、ドラム・トリガーシステムを使った神保だけの演奏もフィーチャーされた。この頃、そのプロモーションも兼ねて、カシオペア在籍時代は余暇の範囲内でしか行われなかったドラムセミナーを頻繁に行っていくようになる。ビデオソフト『Metamorphosis』は、神保の国際的な音楽活動における実績から日本ではなくアメリカの音楽ソフトメーカー、DCIによって制作および現地でも発売されたことにより、海外でもそのプロモーションを兼ねたドラムセミナーが開かれていく。1995年、2作目のビデオソフト『PULSE』を制作して発表。1作目で示したドラム・トリガーシステムを組み込んだデモ曲の演奏は機材の性能向上も相まって進化し、生ドラムと同時にメロディやベース、和音も操る独り多重演奏が確立した。同年、ヤマハからテクニカルマスターの称号を与えられたことにより、国内外でのドラムセミナーが活動の柱の一つとなっていった。 1995年、パーカッション奏者のカルロス菅野がリーダーとなったラテン・ジャズのビッグバンド、熱帯JAZZ楽団に立ち上げから参加。1997年、ドラマーが脱退して活動計画に窮していたカシオペアにもサポートメンバーとして復帰する。一方で櫻井哲夫と組んでいたジンサクは1990年代後半になる頃から別々のソロ活動に比重が高まっていたこともあり、1998年に解散。神保はこれを機に以後は特定のバンドやユニットには属さないソロアーティストとして活動していくようになる。
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