ジュネーヴ学派とは? わかりやすく解説

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ジュネーヴ学派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 22:43 UTC 版)

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ジュネーヴ学派(ジュネーヴがくは)は、フェルディナン・ド・ソシュールの影響を受けたジュネーヴ大学言語学者の学派をいう。これとは別に文学評論家にもジュネーヴ学派というグループがある。

代表的な言語学者

これにルドルフ・エングラー (1930-2003) を加えることもあるが、エングラーはジュネーヴ大学では活動していない[1]

カルツェフスキーは後にプラハ大学に移り、プラハ学派にも属する。ソシュールの考えをプラハに伝える役割を果した。

活動

ジュネーヴ学派(École genevoise de linguistique)という名前は、1908年にバイイが使ったのがはじめであるという[1]。ソシュールの影響を受けたという以外、かならずしも主張が共通しているわけではない。

バイイとセシュエによりソシュールの『一般言語学講義』が1916年に出版された。またソシュールの論文集は1922年に出版された[2]

バイイらによって1940年にジュネーヴ言語学会が創立され、その機関誌『カイエ・フェルディナン・ド・ソシュール』(Cahiers Ferdinand de Saussure)を1941年以来刊行した。ジュネーヴ言語学会は1956年に解散したが、フレエが中心になってその後も『カイエ』は刊行されつづけている。

ジュネーヴ学派の主要な言語学上の主張は、ゴデルの『A Geneva School Reader in Linguistics』にまとめられている[3]

文学評論家

フランス語で「groupe de Genève」(ジュネーブ・スクール)という表現が、1950年代から1960年代にかけての文学評論家のグループにも示された。その中でとくに重要な人物としてベルギーの評論家であるジョルジュ・プーレ(Georges Poulet)やフランスの評論家Jean-Pierre Richard、そしてスイスの批評家マルセル・レイモンド、アルバート・ベギン、ジーン・ラセット、ジーン・スタロバンスキーらで、評論家のエミール・ステイガー、ガストン・バチェラード、J.ヒリスミラーなどもこのグループに関連人物として挙げられることもある。この「ジュネーブスクール」は、ロシア形式主義と現象学(エドマンドフッサールの作品など)から発展し、現象学の手法を利用して、著術者の意識といった深い構造まで、文学作品を分析しようとする一派である。

参考文献

  • Robert Magliola. Phenomenology and Literature: An Introduction. Lafayette: Purdue University Press, 1977; 1978.

脚注

  1. ^ a b René Amacker (1995). “Geneva School, after Saussure”. In Koerner, E.F.K; Asher, R.E.. Concise History of the Language Sciences: From the Sumerians to the Cognitivists. Elsevier Science Limited. pp. 239-243. ISBN 0080425801 
  2. ^ Recueil des publications scientifiques de Ferdinand de Saussure. Labrairie Payot. (1922). https://archive.org/details/recueildespublic00sausuoft 
  3. ^ Godel, Robert (1969). A Geneva School Reader in Linguistics. Indiana University Press 

ジュネーヴ学派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 04:04 UTC 版)

心理学の歴史」の記事における「ジュネーヴ学派」の解説

1918年に、ジャン・ピアジェ1896年1980年)が自身初期博物学者としての研鑽から転向してチューリヒ博士号取得後の研究として精神分析始めた1919年には彼はパリへ赴いてビネー・シモン研究室勤めた。しかし、ビネー1911年死去しシモンルーアン引っ越していた。そのためピアジェ指導ビネーの昔からのライヴァルコレージュ・ド・フランス教授だったピエール・ジャネが(間接的に)行うことになったパリでの仕事比較単純だった。: 博物学者として身に着け統計学的手法使って軟体動物研究し、シリル・バートの知能テストフランス児童使えるように規格化すること。未だ直接指導受けていなかったが、彼はすぐにこの退屈な仕事解決法見出した: なぜ子供たち失敗するのかを探求すること。精神分析面接における初期鍛錬応用してピアジェ子どもたち直接干渉し始めた: 「何故そうしたのか?」(等々)。後に段階説として定式化する理論最初に芽生えたのはこのころからであった1921年になると、ピアジェジュネーヴ移ってジャン=ジャック・ルソー教育研究所とともにエドゥアール・クラパレードとともに研究行った1936年には、ピアジェ初めての名誉博士号ハーヴァードから授与された。 1955年に、遺伝認識国際センター創立された: 理論家科学者学際的活動ピアジェ理論関係する議題研究捧げられた。 1969年ピアジェは「科学対す顕著な貢献」をアメリカ心理学会から賞された。

※この「ジュネーヴ学派」の解説は、「心理学の歴史」の解説の一部です。
「ジュネーヴ学派」を含む「心理学の歴史」の記事については、「心理学の歴史」の概要を参照ください。

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