ジャン=ラベルの襲撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/26 07:50 UTC 版)
「ジャン=ラベルの海戦」の記事における「ジャン=ラベルの襲撃」の解説
エルミオーヌの航海が失敗に終わったことで、ジャン=ラベルの多くの拿捕船の存在に警告が出た。パーカーは「エルミオーヌ」と同じ名のフリゲート艦ハーマイオニー(エルミオーヌの英語読み)の、艦長のヒュー・ピゴットに命令を出して、これらの拿捕船を再捕獲するように言った。ピゴットはジョン・クック艦長のケベック(英語版)、ロバート・オトウェイ(英語版)艦長のマーメイド(英語版)、そして2隻の小型艦、ブリッグ艦の「ドレイク」とカッター船「ペネロープ」から成る戦隊の指揮官であった。ピゴットは海岸を急襲するには評価が高く、3月22日にプエルトリコ沖で、多くのフランス艦の小型艦を攻撃して破壊していた。戦隊を集めたピゴットは、4月20日15時に彼らを引き連れてジャン=ラベルへ向かい、この時の勝利の再現に出た。夜になるまで北西の、相手の気付かないところにいて、乗員たちが相手の航行を出し抜く準備を始めた。つまり、暗闇に紛れて、艦に積まれたボートで乗員たちが防御の固い湾へ出て、港にいる拿捕船に乗り込み、再拿捕してから味方戦隊の方に向かおうという計画だった。 4月20日の夜は海が穏やかで強い東向きの潮が流れ、監視のないジャン=ラベルの港2海里(約3.7キロ)以内までピゴットの艦隊が近づくことができた。艦の下士官の指揮下にある戦隊のボートは、そこで静かに岸へと近づいた。岸にいるものの目をそらすため、ピゴットは艦を入り江の入口へと横切らせ、フランス軍の注意を港からそちらへと向けた。これによりボートは見破られずに港の商船に近づくことができ、それぞれの艦は海岸近くの浅瀬に近寄って並び、敵を待ち構えていた。4月21日の午前1時、ボートからのすさまじいマスケット銃の一斉射撃と共に戦闘の火ぶたが切られ、イギリスの水兵たちが拿捕された商船に群がった。砲撃により、港を向いた岸の砲台が警戒したにもかかわらず、戦闘は短期間のものだった。港内での敵から見方を決心させられず、代わりに大砲が湾内のフリゲート艦を狙い、ピゴットは反撃するよう自分の戦隊に命じた。 4時になって、軍艦「ポリー」、ブリッグ船「トゥーシスターズ」、「アビオナ」、そして「サリー」、スクーナーの「コロンビア」、「ジュノー」、「シチズン・スノウ・ヒル」、それからスループ艦の「インダストリー」、それともう1隻の名前のわからないスループがイギリスに再拿捕され、拿捕したイギリス軍は港の外にこの9隻を連れ出してピゴットの戦隊に向かった、ジャン=ラベルの港に取り残されたのは2隻のボートで、戦闘開始の際に浜辺に打ち上げられたものだった。再拿捕された船はすべてアメリカの旗が掲げてあったが、船の所有を証明する書類は、そのほとんどがカパイシャンに送られていた。この作戦でのフランスの死傷者は報告されていないが、イギリスは攻撃で1名たりとも失わなかった。
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