ジプシーの歌 (ブラームス)
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『ジプシーの歌』(ジプシーのうた、独: Zigeunerlieder)は、ヨハネス・ブラームスによる混声4声部の歌唱(重唱)とピアノのための歌曲集。作品103と作品112の2つの作品番号にまたがっている[1][2]。歌詞はいずれもブラームスの友人であるフーゴー・コンラート(独: Hugo Conrat)がハンガリー民謡[注 1]をドイツ語に翻訳したものである[4]。
この項目では『4つのジプシーの歌』(独: Vier Zigeunerlieder、作品112『6つの四重唱曲』に所収)についても記載する。
ジプシーの歌 作品103
ブラームスは、親交のあったウィーンの商人フーゴー・コンラートの家を幾度なく訪れていたころ、ブダペストのロツアフエルギーから出版された25曲からなるハンガリー・ジプシーのピアノ伴奏付き民謡集を入手しており[5][6]、このうち15曲を選んでコンラートがドイツ語に翻訳した歌詞[7]を携えて、1887年夏[6]、避暑に訪れていたスイスのトゥーンで[8]、うち11の歌詞に作曲を始めた[6]。そして、同年12月に完成したのが『ジプシーの歌』作品103である[6]。翌1888年に初演された[4][注 2]。
ブラームスは作品103以前に、自分が取材したジプシー民謡を基にオーケストラと4手のピアノのための『ハンガリー舞曲』を作曲しており、その出来栄えは当時のハンガリーの音楽家たちが嫉妬するほど優れたものであった[10]。作品103は、その『ハンガリー舞曲』に声楽的に対応する歌曲集である[11]。
11曲はいずれもジプシー音楽の特徴である4分の2拍子で、全曲共通してジプシーの感傷や情熱を表現しているが、各曲の持つ性格によって異なる技巧が駆使されていて、それぞれにおいて豊かな音響的色彩を放っている[6][5]。
のちに、出版社(ジムロック[12])の依頼により8曲を抜粋してブラームス自身がアルト独唱用に編曲した[10]。8曲は最初の7曲に最後の11曲目を加えたもので、こちらの方が多くの声楽家に演奏されている[13]。
合唱曲として歌われることも多く[14]、日本でも1965年に福永陽一郎により男声合唱に編曲されている[10]。
曲目(作品103)
- 第1曲 He, Zigeuner, greife in die Saiten(おい、ジプシー、弦をかき鳴らせ) - イ短調、アレグロ・アジタート(allegro agitato)[12][15][16]
- 第2曲 Hochgetürmte Rimaflut(高く波打つリマの流れ) - ニ短調、アレグロ・モルト(allegro molto)[17][15][16]
- 第3曲 Wißt ihr, wann mein Kindchen(僕の彼女が一番美しいのは、いつなのか知ってるかい) - ニ長調、アレグレット(allegretto)[17][18][16]
- 第4曲 Lieber Gott, du weißt(神さま、あなたはご存じですね) - ヘ長調、ヴィヴァーチェ・グラツィオーソ(vivace grazioso)[18][19]
- 第5曲 Brauner Bursche führt zum Tanze(日焼けした若者がダンスをリードする) - ニ長調、アレグロ・ジョコーソ(allegro giocoso)[17][18][19]
- 第6曲 Röslein dreie in der Reihe(3つ並んだ赤いばらが) - ト長調、ヴィヴァーチェ・グラツィオーソ(vivace grazioso)[20][19]
- 第7曲 Kommt dir manchmal in den Sinn(ときどき思い出して) - 変ホ長調、アンダンティーノ・グラツィオーソ(andantino grazioso)[21][22]
- 第8曲 Horch, der Wind klagt in den Zweigen(聞け、風が枝の間で嘆くのを) - ト短調、アンダンティーノ・センプリーチェ(andantino semplice)[21][22]
- 第9曲 Weit und breit schaut niemand mich an(誰もわたしを見ていない) - ト短調、アレグロ(allegro)[21][22]
- 第10曲 Mond verhüllt sein Angesicht(月がその顔を覆う) - ト短調、アンダンティーノ(andantino)[21][23]
- 第11曲 Rote Abendwolken ziehn(赤い夕雲が流れる) - 変ニ長調、アレグロ・パッショナート(allegro appassionato)[24][21][23]
ブラームスにおいては、ポピュラーな8曲を取り出した場合に第1曲・第2曲以外の大半の曲調が、ジプシー音楽に多用される短音階(典型はハンガリー音階)でなくむしろ長音階によって作曲されているのが特徴的である(これらの曲を「愉快なナンセンス」と評したという)[24]。
男声合唱版
1965年に福永陽一郎によって男声合唱に編曲されている[10]。楽譜はパナムジカから2016年7月1日に出版された[25]。
4つのジプシーの歌(作品112所収)
『ジプシーの歌』は作品103のほかに、『4つのジプシーの歌』《独: Vier Zigeunerlieder》があり、『6つの四重唱曲』(独: Sechs Quartette)作品112中の後ろ4曲が該当する[6]。4曲は作品103と同様、いずれもコンラートのドイツ語訳の歌詞によるものである[7]。
コンラートの訳詞による4曲(『4つのジプシーの歌』)は、1891年春にオーストリアのバート・イシュル[注 3]で作曲された[27][28]。そして、先に1888年に作曲していた2曲[29][注 4]と合わせて『6つの四重唱曲』作品112として1891年の11月ころにライプツィヒのペータース社(C.F. Peters)から出版され[28]、初演は非常に好評を博した[32][注 5]。
『ジプシーの歌』は合唱曲として歌われることも多いが[14]、一般的にブラームスの『ジプシーの歌』といえば作品103を指し、『4つのジプシーの歌』《Vier Zigeunerlieder》は作品103ほどには演奏されることがない[6]。
曲目(作品112/3-6)
- 第3曲 Himmel strahlt so helle(天は明るく輝いている) - ニ長調、アレグロ・ノン・トロッポ(allegro non troppo)[30]
- 第4曲 Rote Rosenknospen künden(赤いばらのつぼみが告げる) - ヘ長調、アレグレット・グラツィオーソ(allegretto grazioso)[30]
- 第5曲 Brennessel steht an Weges Rand(いらくさが道端に生えている) - ヘ短調、アレグロ(allegro)[30]
- 第6曲 Liebe Schwalbe, kleine Schwalbe(かわいいツバメさん、小さなツバメさん) - ニ短調、プレスト(presto)[30]
脚注
注釈
- ^ 「ハンガリー民謡」は直接的にはゾルタン・ナジー(ハンガリー語: Nagy Zoltán)が編集して出版した25曲からなる民謡集『ハンガリーの愛の歌――中声のためのハンガリー民謡25選』[3]を指す(「ジプシーの歌 作品103」節で後述)。
- ^ 私的な初演はおそらく1887年から1888年にかけての冬にブラームスの友人たちのサークルの中で行われており、また、公開の初演は1888年10月31日にベルリンでマリア・シュミット=ケーネ、アマーリエ・ヨアヒム、ライムント・フォン・ツア=ミューレン、フェリックス・シュミットを歌手として行われた[5][9]。
- ^ バート・イシュルの地は、ブラームスが1880年と1882年のほか、1889年から死没の前年の1896年までの毎年に、避暑に訪れていたところである[26]。
- ^ 『6つの四重唱曲』(Op.112)の1曲目・2曲目の「独: Sehnsucht」「独: Nächtens」は、フランツ・テオドール・クーグラー(独: Franz Kugler)の作詞に拠ったもので[30]、3曲目から6曲目にかけてはコンラートがドイツ語に翻訳したジプシーの民謡集に拠ったのとはテキストが異なっている[29][31]。
- ^ 『6つの四重唱曲』作品112の初演は、1891年12月14日にロンドンでリリアン・ヘンシェル、ファッセルト(独: Fasselt、名は不明)、ゲオルク・ヘンシェル(リリアン・ヘンシェルの夫)、ウィリアム・シェークスピアを歌手として、アデリーナ・デ・ララをピアノ伴奏者として行われた[28](ブラームス研究所の出典記載の歌手名〈姓のみ〉を作品103のロンドン初演時〈1888年11月26日〉の歌手名[15]に照らして、該当の無いファッセルトを除きフルネームで記した)。なお、参考文献にある野本立人は、『4つのジプシーの歌』にかぎり1892年11月21日にハンブルクで行われたとする[31]。
出典
- ^ “Zigeunerlieder op. 103” (英語). The LiederNet Archive. 2025年5月3日閲覧。
- ^ “Vier Zigeunerlieder op. 112” (英語). The LiederNet Archive. 2025年5月3日閲覧。
- ^ “Ungarische Liebeslieder : 25 ungarische Volkslieder für mittlere Stimme, by Zoltán Nagy et al.” (英語). The Online Books Page. 2024年7月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月5日閲覧。
- ^ a b “11月26日ブラームス「ジプシーの歌」初演”. ぶんこんなう 練習室の窓. 2025年5月3日閲覧。
- ^ a b c 門馬 1993, p. 433.
- ^ a b c d e f g 太田務「ZIGEUNERLIEDER Op.103/ジプシーの歌 (op.103)」『「愛の歌」ブラームス』東芝EMI〈合唱名曲コレクション (49)〉、1997年12月17日、10頁。(CDに付属のブックレット)
- ^ a b 研究紀要 2003, p. 79.
- ^ 岩田幸雄: “ブラームス”. History of music. 2025年5月3日閲覧。
- ^ “Opus 103, Zigeunerlieder” (ドイツ語). Brahms-Institut. 2024年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月9日閲覧。
- ^ a b c d 「ZIGEUNERLIEDER Op.103(ジプシーの歌)」『第9回 関西六大学合唱演奏会パンフレット』(PDF)関西六大学合唱連盟、1982年11月3日、15頁 。2025年5月3日閲覧。
- ^ 三宅幸夫「第八章 『交響曲第四番ホ短調』」『ブラームス カラー版作曲家の生涯』新潮社〈新潮文庫〉、1986年12月20日、154頁。
- ^ a b 大田黒 1948, p. 204.
- ^ 「ジプシーの歌」『同志社グリークラブ第61回定期演奏会パンフレット』(PDF)同志社グリークラブ、1965年11月18日、7頁 。2025年5月3日閲覧。
- ^ a b 研究紀要 2003, p. 77.
- ^ a b c 門馬 1981, p. 82.
- ^ a b c 門馬 1993, p. 434.
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- ^ a b c 門馬 1993, p. 435.
- ^ 門馬 1981, pp. 83–84.
- ^ a b c d e 門馬 1981, p. 84.
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- ^ a b 大田黒 1948, p. 206.
- ^ “Brahms / Fukunaga Zigeunerlieder Op.103 / パナムジカ”. 楽譜便. 島村楽器. 2025年5月3日閲覧。
- ^ 大井駿 (2021年7月1日). “ブラームスが訪れた7つの避暑地~名曲が誕生したのはどんな町?”. ONTOMO. 音楽之友社. 2025年5月3日閲覧。
- ^ カール・ガイリンガー 著、山根銀二 訳『ブラームス』芸術現代社、1975年11月、451頁。NDLJP:12433241/228。
- ^ a b c “Opus 112, Sechs Quartette für Sopran, Alt, Tenor, Bass und Klavier” (ドイツ語). Brahms-Institut. 2024年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月13日閲覧。
- ^ a b “6 Quartets, Op.112 (Brahms, Johannes)” (英語). IMSLP. Project Petrucci LLC. 2025年5月3日閲覧。
- ^ a b c d e “Opus 112: Six Quartets for Soprano, Alto, Tenor, and Bass, including Four Zigeunerlieder” (英語). Brahms Listening Guides. Kelly Dean Hansen (2022年11月16日). 2025年5月12日閲覧。
- ^ a b 研究紀要 2003, p. 85.
- ^ “Brahms: 6 Quartets, Op. 112” (英語). ficksmusic.com. Ficks Music. 2025年5月3日閲覧。 “During his summer vacation in 1891 Brahms composed” 出典中の「During summer vacation」の表記だけではイシュルに必ずしも夏だけ居たと限定することができない。
参考文献
- 野本立人「ブラームスの合唱作品におけるテキストの分類と分析」(PDF)『兵庫教育大学研究紀要. 第2分冊, 言語系教育・社会系教育・芸術系教育』第23巻、兵庫教育大学、2003年1月、73-88頁、hdl:10132/929、2025年5月3日閲覧。
- 大田黒元雄『名曲解説(声楽)』千代田書房〈音楽鑑賞全書 第2巻〉、1948年11月、204-207頁。NDLJP:1125415/106。
- 音楽之友社 編『声楽曲 III』〈「ジプシーの歌」執筆:門馬直美〉、音楽之友社〈最新名曲解説全集 第23巻〉、1981年7月、80-84頁。NDLJP:12433603/44。
- 音楽之友社 編『ブラームス』〈「ジプシーの歌」執筆:門馬直美〉、音楽之友社〈作曲家別名曲解説ライブラリー 7〉、1993年6月、432-437頁。国立国会図書館書誌ID:000002257926。
関連項目
- ハンガリー舞曲 - ブラームス作曲のオーケストラと4手のピアノのための作品。『ジプシーの歌』と同様、ハンガリー民謡を基にしている。
- 愛の歌 (ブラームス) - ブラームス作曲の作品。『ジプシーの歌』と同様の、混声4声部の歌唱(重唱)とピアノのための歌曲集。
外部リンク
- Zigeunerlieder op. 103の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト(英語)
- 6 Quartette op. 112の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト(英語)
- Zigeunerlieder: MIDI/MP3-Format, with exercises for members of a choir(英語)
- ジプシーの歌_(ブラームス)のページへのリンク