ジニー2号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 01:27 UTC 版)
「ジニー2号」の目標および作戦計画は「ジニー1号」と全く同じものだったが、先述のとおりメンバーには多少の変更が加えられている。また緊急時対策案も用意され、時間内に任務の達成が見込めなくなった場合には脱出地点である海岸に移動してPTボートによる抽出を受けることとされ、海岸にPTボートがいなかった場合は翌日夜に改めてPTボートが到着するまで付近の安全な場所に潜伏することとされていた。 3月22日、コマンド隊員らは再び2隻のPTボートに搭乗し、18時00分にバスティア港を出発した。22時45分、PTボートが目標地点(上陸地点より300ヤード南西)に到達。22時55分までにコマンド隊員らは3隻のゴムボートに分乗し、フラムーラ駅を目指して北東へと進んだ。彼らは「ジニー1号」の時と同様、全員が米陸軍の軍服を着用し、また民間人の服は持ち込んでいなかった。隊員のうち、カルケア、トレモント、ファレルの3名は空挺隊員用長靴を履いていて、その他の隊員は通常の軍靴とカンバス製レギンスを履いており、全員が野戦服を着用し、ニット帽を着用していた。なお、彼らはOSS局員であった為、階級章以外の記章は身につけていなかった。そして全員がM1911ピストルとフェアバーン・サイクス戦闘ナイフを所持し、さらに6人がマーリン9mm短機関銃で武装していた。 23時45分頃、機雷敷設任務を終了し帰投中だったドイツ海軍魚雷艇部隊をPTボート側で目視する。PTボートのうち1隻は陽動の為に銃撃を行い、もう1隻はエンジンを掛けてコマンド部隊との連絡を試みた。しかし通信は途切れたままで、2時00分にはレーダー上に多数の敵影が確認された為、PTボートは2隻とも5マイル沖まで避難して3時00分まで待機した。その後、PTボートでは岸に接近してさらに通信を試みている。1隻はエンジンが故障し、4時00分までに修理が行われた。その後も通信は回復せず、やむを得ずPTボートは2隻とも基地へと帰投した。
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