ジェントリ論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 17:22 UTC 版)
「ヒュー・トレヴァー=ローパー」の記事における「ジェントリ論争」の解説
トレヴァー=ローパーによれば、イングランド内戦の原因としてピューリタンとアルミニアンとの対立が大きな位置を占めることは間違いないものの、しかし原因は他にもある。彼に言わせれば両者の争いは予定説か自由意思か、また聖礼典か説教のどちらが重要かなど、いずれもイングランド国教会のあり方をめぐる問題に過ぎない。ピューリタンは教会機構の地方分権化および各教会の平等化、そして平信徒に対して開かれた教会を目指したのに対し、アルミニアンは主教をトップとする堅固な職階制に基づく秩序ある教会を目指し、また王権神授説と個人の意思による救済を強調した。 イギリス近世史家として、トレヴァー=ローパーはオックスフォードの同僚であるローレンス・ストーン (en) やクリストファー・ヒルのような、イングランド内戦を史的唯物論の立場から(ある場合には「必然」として)説明する歴史学者たちを猛烈に攻撃したことで最もよく知られている。トレヴァー=ローパーはいわゆる「ジェントリ論争」で中心的な役割を果たし、イングランドのジェントリ階層はイングランド内戦が起きる前の世紀までに経済的に勃興したのか没落していたのか、そしてそれが内戦の発端となったのかをめぐり、キリスト教社会主義者のR・H・トーニー (en) やストーンとの論戦を展開した。トレヴァー=ローパーは官職保有者や法律家となっている大ジェントリが経済的に栄え、逆に中小ジェントリは没落して不満を蓄積していたことが1642年の内戦の発端となったと主張した。ストーンやトーニー、ヒルはジェントリ階層が経済的に成長して、このことがイングランド内戦の原因になったと主張していた。第3のグループ、J・H・ヘクスター (en) やジェフリー・エルトン (en) は、ジェントリが勃興したにせよ没落したにせよそれが内戦の原因にはならなかったと主張した。 1948年、トレヴァー=ローパーは、トーニーの学説を支持したストーンの研究論文を、憎々しげな調子の小論文で激しく攻撃し、ストーンはテューダー朝時代の貴族が抱えていた借金問題を誇張しすぎていると断じている。そしてトレヴァー=ローパーはトーニーのジェントリの勃興と貴族の没落に関する論説を弾劾し、トーニーが史料の恣意的な選択と統計に対する誤った解釈を行ったことは罪深いと断じた。
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