ジェントリ論争と地方史研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 04:21 UTC 版)
「清教徒革命」の記事における「ジェントリ論争と地方史研究」の解説
この正統学説は1950年代に入ってヒュー・トレヴァー=ローパーによって批判され、苛烈な論戦がたたかわされた。トレヴァー=ローパーによれば、この内戦は宮廷の官職を独占する大ジェントリたちに対する、中小ジェントリの挑戦であり、ピューリタニズムは華美にふける大ジェントリたちへの嫌悪感にもとづく貧困なジェントリの宗教とされる。これをトレヴァー=ローパーはコート対カントリという対立概念を用いて説明した。これに対してトーニーは、ジェントリの規模ではなく土地経営のしかたを重視した。すなわち、伝統的に地代を徴収する方法にとどまったジェントリは没落し、いっぽう地代のつり上げや牧羊業への柔軟な転換などブルジョワ的経営を行ったジェントリが勃興したとするものである。 こうした論戦は、根拠となる情報が少ないうえに議論が大局的にならざるをえず、不毛な議論となって尻すぼみになり、これをみた若い研究者らは情報が出し尽くされていない地方史研究をこころざすようになった。いずれにしてもこの時代まで、革命は社会矛盾の顕在化によって必然におこったものであるという考え方が前提にあった。
※この「ジェントリ論争と地方史研究」の解説は、「清教徒革命」の解説の一部です。
「ジェントリ論争と地方史研究」を含む「清教徒革命」の記事については、「清教徒革命」の概要を参照ください。
- ジェントリ論争と地方史研究のページへのリンク