ジェット機の導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/28 16:13 UTC 版)
1952年5月には世界初のジェット旅客機であるデ・ハビランド DH.106 コメットI をロンドン-ヨハネスブルグ線に就航させ、世界で最初にジェット旅客機を就航させた航空会社となった。なおその後南回りヨーロッパ線で東京路線にも就航させたものの、機体設計時の欠陥により連続墜落事故を起こしたことにより、原因の追求とその対策が完了するまでの期間は運航を取りやめた。 運航停止より5年の時を経て、1958年には世界の航空会社に先駆けて導入されたコメットMk.4により、初のジェット機による太平洋横断路線を運航した。またその後も、ブリストル ブリタニアやヴィッカースVC-10などのイギリスの最新鋭機の導入を率先して行ったが、同時にアメリカ機のボーイング707も導入した。 1950年代から1960年代にかけて、国力が落ちたイギリスはマレーシアやシンガポール、ケニアやナイジェリアなどのアジアやアフリカに点在する植民地の多くを喪失し、それらのほとんどが独立しイギリス連邦の加盟国となっていったが、独立後もイギリス利権がそれらの地に残ることを象徴するようにそれらの国々への乗り入れは継続された。 なお、長年イギリスにとって最大の植民地であったイギリス領インド帝国から独立して建国されたインドとパキスタンにも、当然のように乗り入れを続けた。さらにクウェートやマレーシアなどの元植民地のフラッグ・キャリアの設立に協力し、余剰機材となったコメットMk.4やボーイング707などをこれらの航空会社に貸し出した。 しかし、その後競争力をつけたこれらの元植民地、または現植民地に設立された航空会社との競争により、経営体力を消耗することになる。
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