ショルティ時代 (1979年-1983年)
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「ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団」の記事における「ショルティ時代 (1979年-1983年)」の解説
ハイティンクの後任に選ばれたのは、ハンガリー生まれの指揮者でシカゴ交響楽団音楽監督も務める、戦後長らくのドイツ国籍を経て1972年にイギリスの市民権を得ていたゲオルク・ショルティだった。ショルティは1938年、25歳の時に同郷の先輩指揮者アンタル・ドラティの引き合わせでコヴェント・ガーデン王立歌劇場のオーケストラ・ピットに入ったロンドン・フィル(当時は歌劇場管弦楽団は存在しなかった)を初めて指揮して以来41年間、たびたび客演を続けていた。 レコーディングはショルティが契約していたデッカを主として行われ、エルガーの交響曲全集とホルストの組曲『惑星』、それにリストの交響詩『前奏曲』などが録音された。またモーツァルトの『フィガロの結婚』などのオペラ作品も録音された。 ショルティは4年間のみの在任だったが、安定した関係の中でも、演奏旅行中にショルティだけ一等席で移動するなど、必ずしも楽員と和気藹々だったわけではなく、オーケストラの次のターニング・ポイントであるテンシュテットの時代へと引き継がれていく。
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