シュロスベロイヒトゥンク
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「ハイデルベルク城」の記事における「シュロスベロイヒトゥンク」の解説
年に数回シュロスベロイヒトゥンク(Schlossbeleuchtung、直訳すると「城を照らす」)という催しが開催される。これは城を中心として取り囲むように花火を上げて、1693年の城の破壊を演出する催しである。1878年に、マーク・トウェインは著書『ヨーロッパ放浪記』の中でシュロスベロイヒトゥンクについて言及している。 最初のシュロスベロイヒトゥンクは、1815年6月にオーストリア皇帝フランツ2世、ロシア皇帝アレクサンドル1世、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世、バイエルン皇太子ルートヴィヒほか多くの貴顕が何週間にもわたってハイデルベルクに滞在した際に催された。この会合で、神聖同盟締結の流れが決定された。出席している元首らのために市当局は城のライトアップを決めた。この時は単純に城の内庭で木材や燃えやすい布類に点火するだけであった。 1830年5月に行われた続いてのシュロスベロイヒトゥンクは、オーストリア皇帝、ロシア皇帝およびプロイセン王がハイデルベルクを訪れた際に、城の庭園技師メッツガーによって企画された。現在のシュロスベロイヒトゥンクは、プファルツ継承戦争時のフランスの将軍 Ezéchiel de Mélac による1689年と1693年のハイデルベルク城の破壊を思い起こさせるものになっている。 ハイデルベルクの新聞ライン=ネッカー・ツァイトゥンクはシュロスベロイヒトゥンクの歴史的背景と現在について記述している。 「何十年も前からシュロスベロイヒトゥンクのたびに約50人の消防隊員が協力者として城に配置されている。これは名誉な任務であり、多くが父から子や孫へと継承される。ホルシュト・ハッセルバッハは30年ほど前に手伝えないだろうかと尋ねてみた。それ以来彼はシュロスベロイヒトゥンクに参加する機会を逃したことはない。聖霊教会の時計が22時15分になると信号のロケットが打ち上げられる。これは「用意!」の合図である。そこで協力者達は全員導火線に点火する。そしてそのきっかり30秒後に2度目の発射となり、協力者達はベンガル花火の導火線に火を付ける。すると赤い光の中に城が燃え立つように輝くのである。」— ライン=ネッカー・ツァイトゥンク 2005年8月30日付
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