シュタインバッハ地区のアインハルトのバシリカ
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アインハルトのバシリカは、カール大帝の年代記作者で腹心の部下であったアインハルトによって建設された。824年から827年に建てられたこのカロリング朝の教会は、大部分がカロリング時代のまま保存された数少ない建築例の一つである。アインハルトの依頼を承けて公証人のライトライクがローマで盗み出した殉教者ペテロと殉教者マルケリヌスの聖遺物をこのバシリカの地下聖堂に納めて以後、従者が悪夢に悩まされ、血まみれの骨が現れるといった事件があり、凶兆と判断したアインハルトは妻のエンマとともに居館を移り、聖遺物はオーバー=ムリンハイム・アム・マイン(現在のゼーリゲンハイム)に移された。オーバー=ムリンハイム・アム・マインには新しい大きなバシリカが建てられ、巡礼地になっている。一説には盗まれた聖遺物はローマからサン=モーリス(ヴァレー州)まで隠して運ばれ、ここからミヒェルシュタットまでは巡礼者が歓声を上げながら運んだとされる。シュタインバッハのバシリカは何度も改築や増築がなされ、病院に転用されたりした後、17世紀からは納屋として使われていた。カロリング朝時代の建物であることが再発見された後、1873年のバシリカの初期部分についての調査と保全が開始された。 アインハルトのバシリカは1967年までエアバッハ=フュルステナウ伯の所有であったが、現在はヘッセン州の所有物である。
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