シュタインバッハ地区のエアバッハ=フュルステナウ伯の城館
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「ミヒェルシュタット」の記事における「シュタインバッハ地区のエアバッハ=フュルステナウ伯の城館」の解説
この町に遺る城を巡ると、様々な建築様式が一望でき見応えがある。北西の古いマインツ選帝侯の境界防衛施設や水城(1300年頃)からゴシック時代の石工の仕事場であるストラスブール聖堂の石切場を通り、シュタインバッハに至る。水城西側の2本の隅塔の間にあるルネサンス様式の巨大なアーチ門から中庭を通して旧城内庭園が開けている。かつて貨幣鋳造所であったルネサンス様式の水車小屋や、ミュムリング川沿いには優美なバロック様式の騎士の館がある。水城の西側は古典主義様式の居住翼「新宮殿」(1810年から1811年)や全く近代的なイギリス式庭園である城内庭園には後期バロック様式のオランジュリがある。オランジュリの上層は小さな城内劇場になっている。 フュルステナウ城は現在もエアバッハ=フュルステナウ伯家のHauschefであり、その家族が住んでいる。かつてのマインツ選帝侯の防衛施設は1355年からエアバッハ家の所有となった。城を外から見学することは昼間であれば可能である。
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