ザ・フーとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 03:29 UTC 版)
「ジミ・ヘンドリックス」の記事における「ザ・フーとの関係」の解説
モンタレー・ポップ・フェスティバル(1967年6月)には、ヘンドリックスと同様に楽器破壊パフォーマンスを売りにしていたザ・フーも出演している。主催者は、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとザ・フーを連続してステージに登場させようとしたため、両バンドは大いに困惑した。フーのピート・タウンゼントはヘンドリックスに「君は天才ミュージシャンだが、俺達には楽器破壊の芸しかない。先に演奏させてほしい」と懇願したという(タウンゼントの談話)。両バンドの話はまとまらず、主催者側のジョン・フィリップス(ママス&パパス)がコインを投げ、その裏表で出演順を決定することになった。結果、ザ・フーが先、ヘンドリックス達は後という出演順になっている。ヘンドリックスがギターに火をつけたとき、キャス・エリオット(ママス&パパス)は「ギターを壊すのはあなたの専売特許だったんじゃないの?」とタウンゼントに話しかけたが、タウンゼントは「昔はそうだったが、今はジミのものだ」と答えたという。 タウンゼントはヘンドリックスのギターに惚れ込み、ヘンドリックスの渡英後間もない時期には可能な限りステージに通い詰めていた(タウンゼント本人の談話)。ヘンドリックスが出演しているクラブにタウンゼントが出向いた際、出入り口でジェフ・ベックと擦れ違い「あいつ(ヘンドリックス)、お前の技をパクってるぜ」と言われたというエピソードがある。実際に演奏を聞いてみたところ、「俺のトレードマークに変化が加わっていた」とタウンゼントは驚いたという。 ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとザ・フーは、宣伝担当エージェントが共通で、しばしば同じステージに立ったりしていた。イギリスでは、ザ・フーの方が先にデビューしていたため、ヘンドリックスがザ・フーの前座として出演することもあった。ピート・タウンゼントは「ジミから『ザ・フーのみんなにはとても世話になった』と丁重に礼を言われたことがある。だが、本当の友人になることができないうちに、彼は死んでしまった」と、残念そうに語っている。
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