ザ・フー加入
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1963年4月、ビーチコーマーズというセミプロ・バンドに加入。同年10月にはシングルを発表しているが、このバンドは本格的にプロを目指そうとはしていなかった。このバンドに在籍していた頃からムーンはザ・ディトゥアーズ(後のザ・フー)のことは耳にしていた。1964年、ザ・フーが新ドラマーを探しているという噂を聞きつけ、4月の終わりにザ・フーのギグに訪れた。当時のザ・フーは前任のドラマー、ダグ・サンダムが脱退し、急場しのぎで別のドラマーを雇っていたが、ギグの途中でムーンの友人が「俺の連れのほうが上手い」とムーンをステージに上げた。その場でボー・ディドリーの「ロード・ランナー」を演奏したが、ムーンはそのパワフルな演奏でドラムを壊してしまい、メンバーの度肝を抜いた。ジョン・エントウィッスルは「キースの演奏を見た瞬間、『こいつに決まりだ!』と思った」と当時を振り返っている。ピート・タウンゼントもまた「キースを見出した時が正に俺達のターニングポイントだった」と認めている。 だがムーンは、すぐにはビーチコーマーズを脱退しなかった。メンバーから直接加入を打診されたわけではなく、さらに当時のザ・フーには契約の話が進んでいたフィリップス・レコードから紹介されたブライアン・レッドマンという別のドラマーがいたことが要因だった。だがムーンとレッドマンのプレイを再度比較した結果、レッドマンはメンバーから不適任と判断され、ムーンは晴れてザ・フーのメンバーとなった。
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