ザ・ストゥージズへの復帰
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「スティーヴ・マッケイ」の記事における「ザ・ストゥージズへの復帰」の解説
2003年、イギーからコーチェラ・フェスティバルで4月27日のステージに登場する再結成ストゥージズへの参加を打診され、これを承諾した。ただし、公式には「今回限り」といわれた復活であり、形としてはイギーのライブに元ザ・ストゥージズのメンバーが客演するという格好だった。 コーチュラ・フェスティバルへの出演を終わらせると、同年の7月にロサンゼルス・フリー・ミュージック・ソサエティ(英語版)の中心的バンド、スメグマ (アメリカ合衆国のバンド) (英語版)とアルバム『サーティイヤーズオブサービス...』のためにレコーディングセッションを行った。続けて、これまでのラドン関係ミュージシャンとのセッションを1枚のソロアルバムとしてまとめるために、ニーデガーやザ・ラドン・アンサンブルズと共にニーデガーが当時生活の場としていたポルトガルのポルト市に渡り、その製作準備に立ち会った。 2004年、2003年中はイギー名義のライブに散発的に客演という状況だったザ・ストゥージズは正式に再結成し、ワールドツアーを開始する。マッケイもコーチュラ・フェスティバルに引き続いて参加することになり、ついに電気技師を引退して音楽活動へ専念する日が訪れた。ただし、マッケイによれば形としては客演扱いで、ステージでの演奏時間は長くてもセットリストの半分程度だった。また、この年は『サーティイヤーズオブサービス...』のリリースを記念して、スメグマとのライブセッションに参加し、元デッド・ケネディーズのジェロ・ビアフラと共演した。 2006年9月、長期に渡るザ・ストゥージズのワールドツアーが終わる直前直後に、マッケイ初のソロアルバムが2枚立て続けにリリースされた。1枚はワールドツアー終了直前の9月10日にリリースされた『トンネル・ダイナー』(アナログ盤のみ)、もう1枚はワールドツアー終了直後の9月26日にリリースされた『ミシガン・アンド・アークトゥルス』である。どちらもThe Radon Ensemblesがバックを務めたレコーディングセッションやライブセッションといった素材をまとめたものである。 翌10月にはザ・ストゥージズの4thアルバム『ザ・ウィヤードネス(英語版)』に参加する準備を進めていたが、フロリダで行われたレコーディングの準備作業にマッケイは呼ばれなかった。この原因としてマッケイは、ロン・アシュトンが彼をレコーディングにフル参加させることに消極的だったからと後に語っている。結局、マッケイにとっての『ザ・ウィヤードネス』は、シカゴで1日半程度のレコーディングに参加しただけで終わった。
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