ザンビア情勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 09:41 UTC 版)
詳細は「ザンビア#歴史」および「en:History of Zambia」を参照 1964年10月24日に独立したザンビアはケネス・カウンダ大統領の下、1969年に国の経済活動の基盤となる銅鉱業の国有化に乗り出し外資系企業の株式の過半数を取得して新たに2社の鉱山会社として再編し、2社を国営鉱業開発公社の傘下に置いた。銅の国際価格が世界的に高水準を維持していたことを受けてザンビア経済は活況を呈し、1960年代後半から1970年代前半にかけて年平均経済成長率は10.6%を記録した。カウンダ大統領は好況を背景にサッカー代表チームの強化を命じ、国営鉱山会社から賄われる強化費や給与によって選手の多くは生活が保障された。彼らはカウンダ大統領のイニシャルに因んで「KKイレブン」と呼ばれていた。 一方、1970年代半ばに入ると銅価格の暴落や石油危機などにより経済成長率が低下。1980年代に入った後も経済状況は改善せず、国民の不満は高まりを見せていた。カウンダ大統領は1991年に従来の一党制支配から複数政党制に移行し総選挙を実施する事を発表。10月の大統領選挙で対立候補のフレデリック・チルバに大差で敗れ職務から退いた。チルバ政権の下では国営企業の民営化や公務員数の削減などの経済政策が進められていた。
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