ザンビアの独立とローデシアのUDI
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 14:46 UTC 版)
「ヴィクトリアの滝」の記事における「ザンビアの独立とローデシアのUDI」の解説
1964年、北ローデシアはザンビアとして独立した。翌1965年、ローデシア(旧南ローデシア=現ジンバブエ)は白人支配を維持したまま一方的独立宣言 (Unilateral Declaration of Independence) を行ったが、この UDI はザンビア、イギリスをはじめ多くの国で承認されなかった。1966年にはローデシアに対して国連による経済制裁が始まり、同年ザンビアはローデシアとの国境を制限または閉鎖した。 1972年、ローデシアは白人政権と黒人ゲリラとの内戦に突入した。ローデシア政権は、ザンビアから黒人ゲリラが侵入するのを阻止するため、滝や渓谷を部分的に立入禁止にし、兵士を配置した。これらの影響でローデシア側だけでなくザンビア側の観光客も減ることになった。 1980年にローデシアはジンバブエとして正式に独立し、同年ザンビアとの国境も完全に開通した。その後は平和の回復とともにヴィクトリアの滝も観光地として発展が続いた。現在は、激流を下るラフティング、ヴィクトリアフォールズ橋からのバンジージャンプ、スポーツフィッシング、乗馬、カヤック、ヘリコプターによる遊覧飛行などの多様なアクティビティの拠点となっている。
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