ザクセン=アルテンブルク家との養子縁組
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「プラシューマ家」の記事における「ザクセン=アルテンブルク家との養子縁組」の解説
テューリンゲン地方の諸侯領の1つザクセン=アルテンブルク公国は、1918年のドイツ革命で君主制が廃止されるまで続いた。この時に退位した最後のザクセン=アルテンブルク公エルンスト2世の2人の息子が独身を通したことで、ザクセン=アルテンブルク公爵家の男系血統は1991年に絶えた。エルンスト2世の同族の又従妹マリー公女(1888年 - 1947年)は、離婚した夫ロイス=ケストリッツ侯子ハインリヒ35世(1887年 - 1936年)との間にもうけた同名の一人娘マリー(1912年 - 1933年)を若くして亡くした。父アルベルト公子から受け継いだメクレンブルク地方ゼラーン(ドイツ語版)の広大な所領を受け継ぐ新たな相続人の確保を迫られた彼女は、1939年にベネディクト・フォン・プラシューマ伯爵(1890年 - 1965年、フリードリヒ2世伯の三男)の末息子フランツ(1934年 - 2012年)と養子縁組し、この5歳の幼児にザクセン=アルテンブルク公子およびザクセン公爵(Prinz von Sachsen-Altenburg, Herzog zu Sachsen, Graf Praschma, Freiherr von Bilkau)の称号を名乗らせた。こうした事情により、ザクセン=アルテンブルク家は家名のみが残る形で存続している。 フランツ・フォン・ザクセン=アルテンブルク公子の長女シュテファニー(1965年 - )は、日本人宇宙飛行士若田光一の妻となった。
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