サンウェーブ工業倒産と昭和40年不況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/28 00:03 UTC 版)
「柴崎勝男」の記事における「サンウェーブ工業倒産と昭和40年不況」の解説
世界一の生産量を誇る大手へと成長したサンウェーブであったが、昭和39年(1964年)12月、会社更生手続開始申立を行い倒産となる。 この年、アジアで初めての1964年東京オリンピックが開催され、日本の景気は絶頂を迎えていたが、多くの企業が過剰設備・過剰生産状態となり、サンウェーブ以外にも日本特殊鋼、山陽特殊製鋼等の大型企業が倒産し、山一證券の経営危機など、いわゆる40年不況と呼ばれる一年となる。 サンウェーブ倒産の原因としては、高度成長一本槍の相次ぐ設備投資に加え、昭和39年に建設を開始した深谷工場が仇となった結果だが、同時に背景には政治的な陰謀や大手企業(財閥)による乗っ取り説等があったとされる説もある。事実この時期の会社更生法の適用を受けた企業はほとんどが大企業の系列に入れられ再建されている。サンウェーブも三和銀行・日新製鋼・日商岩井の系列で再建されたが、後に柴崎は、「サンウェーブの倒産は日新と岩井の悪質な乗っ取り」であると発表し、この事は様々なメディアで話題となり議論された。 40年不況は当時の大蔵大臣、田中角栄の鶴の一声で決まった山一證券への日銀特融や、その後の大蔵大臣、福田赳夫の元、戦後初の国債発行等により景気は急激に回復し、その後50か月に渡り続くいざなみ景気へと入る。
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