サモアン・スワット・チーム
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「サムラ・アノアイ」の記事における「サモアン・スワット・チーム」の解説
1987年、プエルトリコのWWCにてサムゥ(Samu)と名乗り、従弟のファトゥとのタッグチーム、ザ・サモアン・スワット・チーム(The Samoan Swat Team)を結成。1988年からはテキサス州ダラスのWCCW / WCWAに進出、8月12日にケビン&ケリー・フォン・エリックからWCWA世界タッグ王座を奪取した。WCWAではバディ・ロバーツがマネージャーを務め、以降同王座を通算3回獲得。同年12月にはAWAのイベント "SuperClash III" にも出場している。 1989年、テッド・ターナーのWCWに買収されて間もないNWAミッドアトランティック地区に参戦。ポール・E・デンジャラスリーを新しいマネージャーに迎え、同じヒール陣営のファビュラス・フリーバーズとも共闘。7月23日の『グレート・アメリカン・バッシュ'89』にて行われた5対5の時間差金網デスマッチ「ウォー・ゲーム」にはフリーバーズのマイケル・ヘイズ、テリー・ゴディ、ジミー・ガービンと組んで出場し、ロード・ウォリアーズ、スティーブ・ウィリアムス、ミッドナイト・エクスプレス(ボビー・イートン&スタン・レーン)のチームと対戦した。 WCW離脱後はコキーナを加えたトリオでメキシコのUWAにも登場し、1991年1月27日にエル・トレオで開催されたアニバーサリー・ショーにおいて ミル・マスカラス、ドス・カラス、カネックの頂上トリオと対戦している。なお、新日本プロレスにおけるコキーナとワイルド・サモアンのタッグチームも「サモアン・スワット・チーム」と呼称される場合があった。
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