サッダーム政権とクルド人問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 09:10 UTC 版)
「モースル」の記事における「サッダーム政権とクルド人問題」の解説
第二次世界大戦後、イラクはイギリス支配から独立した。モースルの人口の大部分を占めていたクルド人の存在は、イラク大統領サッダーム・フセインに反クルド軍事行動を起こさせる契機となった。特に湾岸戦争後にクルド人が中央政府に対する反抗を試みた1990年代には軍事行動が激化し、運動は失敗に終わった。その反体制運動失敗の結果として米国と英国が介入して北緯36度線以北に「北部飛行禁止区域(1991年~2003年)」が設定され、イラク北部及び北東部の帯状のクルド人居住地域は、クルド愛国同盟とクルド民主党の手に落ち、この地域で自治(事実上の独立)を開始した。モースルはクルド人自治区の手に落ちなかったが、この飛行禁止区域には含まれていた。 飛行禁止区域はサッダーム・フセイン政権にクルド人地域とモースルに対する大規模な軍事作戦を起こさせない役割を果たした。しかし、サッダーム・フセイン政権はモースルに陸軍第5軍団を駐屯させ、国際線の就航可能な空港を軍の支配下に置き、市民から大量に徴兵を行った。また各自治体の首長には軍人が就くなど事実上、イラク軍の統治下にあった。モースルとその一帯の村々はアラブ人を主体として、クルド人、アッシリア人、トルクメン人、少数のユダヤ人、その他孤立したヤズディ教徒などの混合地帯であった。
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