ゴーゴリの初期作品と『タラス・ブーリバ』
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『タラス・ブーリバ』が書かれた1834年から翌年にかけて、ゴーゴリの執筆力はきわめて旺盛だった。1835年には評論・作品集「アラベスキ」と作品集「ミルゴロド」が相次いで出版された。「アラベスキ」には『肖像画』、『ネフスキー通り』、『狂人日記』などサンクトペテルブルクを舞台にした作品が収録され、後に書かれた『外套』(1842年)とともに「ペテルブルクもの」と呼ばれる。一方の「ミルゴロド」には本作『タラス・ブーリバ』のほか、『昔気質の地主夫婦』、『ヴィー』、『イワン・イワノヴィチがイワン・ニキフォロヴィチと喧嘩した話』の4作品が収められており、「ディカニカ近郷夜話」(1931年 - 1932年)とともに題材的に「ウクライナもの」と呼ばれている。 『タラス・ブーリバ』は、ウクライナの民族的解放のための自己犠牲的な戦いを鮮明に描き出し、戦闘や英雄的行為、集団の動きの場面の力強い描写の間に、ウクライナの美しい自然描写がちりばめられ、しかも巧みなユーモアが交えられていている。ゴーゴリの初期に見られるロマンチシズムの代表的な作品である。 ゴーゴリ最初の作品集「ディカニカ近郷夜話」は、収録作の多くがロマンティックで怪奇的な物語であったのに対して、「アラベスキ」と「ミルゴロド」において、ゴーゴリは作家としての成長とともに、作風の著しい変化を示している。すなわち、『タラス・ブーリバ』ではロマンティックでありながら怪奇性は見られず、『鼻』や『肖像画』は怪奇性を漂わせつつも現実味の濃い風刺的な作品である。ゴーゴリの写実的手法は、この時期に次第に確立されていったと考えられる。
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