ゴルゴタは丘なのか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:41 UTC 版)
ゴルゴタは「丘」あるいは「山」と称されることが多いが、聖書にはイエスが十字架に掛けられた場所が丘であるとは記されていない。むしろ『ヨハネによる福音書』等から「ゴルゴタ」は特定の丘の名前ではなくイエスが処刑された所とその墓のある園を含む一帯の地名であることが推測できる。 ゴルゴタを小山(羅語:monticulus)とする最古の記録は333年に書かれたボルドー出身の巡礼者の『ボルドー巡礼記』(羅語:Itinerarium Burdigalense)だが、ゴルゴタを丘あるいは山と一般的に考えられるようになったのは6世紀以降である。一説ではこの認識が広まったのはコンスタンティヌス1世によって創建された聖墳墓教会の中にある「カルワリオの岩」と呼ばれる小丘(正確には巨岩)が原因であるという。この地にウェヌス神殿があった時代、岩の上にウェヌス像が置かれていたが、教会が建てられた時に異教に対するキリスト教の勝利のしるしとしてこの像に十字架が取って代わった。やがてイエスが磔にされたのはこの「十字架の岩」の上であると信じられるようになり、そこからゴルゴタを丘(山)と見なす通説が生まれた。 ゴルゴタを丘とする認識が普及するにつれて、これを『創世記』に見られるモリヤ山(ユダヤ人の始祖アブラハムがその息子のイサクを犠牲にしようとした場所)と同視する説も現れた。実際にはキリスト教の教義においてはアブラハムの子であるイサクの燔祭は神の子であるイエスの十字架上の死の予型(前兆)と解釈されている。(ただし、『歴代誌下』(3:1)ではエルサレム神殿が建てられた丘はモリヤ山であると言われている。)
※この「ゴルゴタは丘なのか」の解説は、「ゴルゴタの丘」の解説の一部です。
「ゴルゴタは丘なのか」を含む「ゴルゴタの丘」の記事については、「ゴルゴタの丘」の概要を参照ください。
- ゴルゴタは丘なのかのページへのリンク