コンクラン【コンクラン】(草花類)
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登録番号 | 第12865号 |
登録年月日 | 2005年 3月 14日 | |
農林水産植物の種類 | ペチュニア | |
登録品種の名称及びその読み | コンクラン よみ:コンクラン |
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品種登録の有効期限 | 20 年 | |
育成者権の消滅日 | ||
品種登録者の名称 | プラント 21 LLC | |
品種登録者の住所 | アメリカ合衆国 カリフォルニア 92003 ボンソール アクドクト ロード 32149 | |
登録品種の育成をした者の氏名 | 坂崎潮 | |
登録品種の植物体の特性の概要 | ||
この品種は、「ファンタジーアイボリー」に育成者所有のブラジル連邦共和国の野生種を交配して育成されたものであり、花はピンク白の地色に暗赤紫色の網目模様が入る、やや小輪の鉢物向きの品種である。草型はつる性ほふく型、草丈は低である。茎長はやや高、太さは細、色は有、毛の多少は中、第1次分枝数は多、第2次分枝数は中、節間長は短である。葉形は楕円形、着葉角度は水平、葉長は短、葉幅は狭、葉の上面の色は中、ふ入り葉は無、葉の厚さはやや厚、毛の多少は少である。花の向きは斜上向き、花形は一重、花筒部の形は中、花径はやや小輪、複色の有無は有、複色模様の形は網目模様、複色花の地の色はピンク白(JHS カラーチャート9201)、複色花の模様の色は暗赤紫(同9210)、花弁のたい色の程度は中、花喉部内面底部の色は暗赤紫(同9210)、花筒部外面の色は赤味紫(同 8911)の地色に暗赤紫(同9210)のすじが入る、花弁先端部の形は鈍、切れ込みの程度は浅い、波打ちの程度は弱、がくの形状は狭、雌ずいの形は細、雄ずいの形は小、雌雄ずいの位置は凹、雄ずいの数は中、花柄の長さは短、太さは細である。「レボリューション・ブルーベイン」と比較して、葉形が楕円形であること、複色花の地の色がピンク白であること、模様の色が暗赤紫であること等で区別性が認められる。 | ||
登録品種の育成の経過の概要 | ||
この品種は、平成10年に育成者の温室(滋賀県彦根市)において、「ファンタジーアイボリー」に育成者所有のブラジル連邦共和国の野生種を交配し、ドイツ連邦共和国において、その実生の中から選抜、以後、増殖を行いながら特性の調査を継続し、11年にその特性が安定していることを確認して育成を完了したものである。 |
コンクラン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 09:00 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動コンクラン(モンゴル語: Qunquran, ? - ?)は、ジョチの息子オルダの第4子で、ジョチ・ウルスの王族の一人。父のオルダの死後、オルダ・ウルス(ジョチ・ウルスの左翼部)の第2代当主となった。
概要
コンクランはオルダ・ウルスの創始者オルダの四男として生まれた[1]。『集史』「ジョチ・ハン紀」第1部コンクランの條には「オルダの後、彼の国を治めた。男の子を持たない」とのみ記され、オルダの後を継いでオルダ・ウルス当主となったことはわかるものの、どのような治世であったかについては全く記録がない[2]。
コンクラン在世中のオルダ・ウルスにとって最大の事件は、コンクランの兄のクリの西アジア遠征軍への従軍と、その死であった。1251年に、ジョチ・ウルス当主バトゥの後援によってトゥルイ家のモンケが第4代皇帝(カアン)となると、その次弟クビライを総司令とする東アジア遠征軍と、三弟フレグを総司令とする西アジア遠征軍の派遣が決定された。この時、クリはジョチ・ウルスの右翼ウルスを代表するトタル、中央ウルスを代表するバラガイとともに、左翼ウルス(=オルダ・ウルス)代表としてフレグの遠征軍に加わった[3]。しかし、モンケの急死によってフレグが「イランの地」で自立を果たすと、トタル、バラガイらは立て続けに処刑され、クリの子ミンガンは幽閉された(クリはこれ以前に死去していたとみられる)[4]。クリらフレグ遠征軍に従軍したジョチ家王族の相継ぐ死去は、ジョチ・ウルスとフレグ・ウルスの軍事的対立の直接的な切っ掛けとなった。
コンクランの死亡時期とその後継者についても不明な点が多いが、断片的な記述からコンクランの弟の息子テムル・ブカが後を継いだと考えられている[5]。
オルダ王家
- ジョチ太子(Jöči >朮赤/zhúchì,جوچى خان/jūchī khān)
- 1オルダ(Orda >斡魯朶/wòlǔduǒ,اورده/ūrda)
- サルタクタイ(Sartaqtai >سرتاقتای/sartāqtāī)
- 4トゥルク・カーン/諸王コニチ(Qoniči >火你赤/huŏnǐchì,قونیچى/qūnīchī)
- クリ(Quli >قولی/qūlī)
- クルムシ/クレムサ(Qurmši >قورمشی/qūrmshī,Куремса)
- 2コンクラン(Qunquran >قونگقیران/qūnggīrān)
- チョルマカイ(Čurmaqai >چورماقای/chūrmāqāī)
- クトクイ(Qutuqui >قوتوقوی/qūtūqūī)
- フレグ(Hülegü >هولاگو/hūlāgū)
- 3テムル・ブカ(Temür buqa >تیمور بوقا/tīmūr būqā)
- 6クペレク(Köbeleg >كوبلك/kūbalak)
- 3テムル・ブカ(Temür buqa >تیمور بوقا/tīmūr būqā)
- サルタクタイ(Sartaqtai >سرتاقتای/sartāqtāī)
- 1オルダ(Orda >斡魯朶/wòlǔduǒ,اورده/ūrda)
歴代オルダ・ウルス当主
脚注
- ^ 北川1996,75頁
- ^ 北川1996,80頁
- ^ 赤坂2005,130-132頁
- ^ 宮2018,703-704頁
- ^ テムル・ブカがオルダ・ウルス当主になったと明言する史料がないが、その息子クペレクが「かつて父は左翼の長であった」と述べた記録が残されているため(赤坂2005,145頁)
参考文献
- 赤坂恒明『ジュチ裔諸政権史の研究』風間書房、2005年
- 北川誠一「『ジョチ・ハン紀』訳文 1」『ペルシア語古写本史料精査によるモンゴル帝国の諸王家に関する総合的研究』、1996年
- 宮紀子『モンゴル時代の「知」の東西』名古屋大学出版会、2018年
- 村岡倫「オルダ・ウルスと大元ウルス」『東洋史苑』52/53号、1999年
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