ゲット・バック・セッションでのリハーサル
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「オール・シングス・マスト・パス (曲)」の記事における「ゲット・バック・セッションでのリハーサル」の解説
ディランやザ・バンドとともに過ごしたウッドストックでの生活とは対照的に、ビートルズのメンバー間では1968年のアルバム『ザ・ビートルズ』のためのセッション以降、不和が生じていた。1977年にハリスンは「クリスマスのためにイギリスに戻った後、『レット・イット・ビー』の制作に取りかかることになったんだけど…すぐにまた変な雰囲気に包まれたよ。ミュージシャンであることを楽しめるようになってきたというのに、ビートルズに戻った途端にあまりにも苦しくなってしまったんだ」と振り返っている。 トゥイッケナム・スタジオでの映画撮影の初日にあたる1月2日、ハリスンは「オール・シングス・マスト・パス」を紹介し、以来ビートルズは4日間の撮影で断続的に本作に取り組んだ。アレンジを模索する中で、ハリスンは「ザ・バンドのような雰囲気」を好むことを強調し、その結果レノンはギターからザ・バンドのガース・ハドソンが好んで使用していたローリーオルガン(英語版)にパートを変更した。このリハーサル中、ビートルズは当時撮影中であった映画に収録することを目的に、ハリスンが本作をソロで演奏するというアイデアについても話し合っていた。 1月末に本作に再び取り組むこととなったが、この頃には場所がロンドン中心部にあるアップル・スタジオに移してセッションが行われていた。これは、1月10日をもって一時的に脱退していたハリスンを再びビートルズに迎え入れるための条件の1つであった。ビートルズは本作に対してかなりの時間を割いたが、最終的には保留となった。『ローリング・ストーン』誌のデビッド・フリックは、この時期のハリスンについて「ビートルズの中で、またビートルズのために曲を書くという恩着せがましい制約に対するあがき」と述べている。サルピーとシュヴァイクハートは、著書『Get Back: The Unauthorized Chronicle of the Beatles' Let It Be Disaster』で「レノンとマッカートニーは、ハリスンの曲が『自分の曲よりもはるかに優れている』と判断したときも、たびたびハリスンの曲を没にしていた」と書いている。 その後、ビートルズとして「オール・シングス・マスト・パス」の正式なレコーディングを行うことはなく、リハーサル音源のみがセッションからの海賊盤で流通している。2003年に発売された『レット・イット・ビー...ネイキッド』に付属のボーナス・ディスク『Fly on the Wall』には、本作の一部が収録されている。
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