ゲイに対する姿勢と連帯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 15:39 UTC 版)
「マイカル・ジャッジ」の記事における「ゲイに対する姿勢と連帯」の解説
ジャッジの死後、彼の幾人かの友人たちによって、(姿勢の問題は別として、彼は司祭として独身ではあったが)ジャッジがゲイであったことが明らかになった。火災委員のトマス・ファン・エッセンは「実際のところ、私は秘密を守ったが、統一消防士協会にいたころに彼のホモセクシュアリティを知っていた。5年前に委員になった時、彼は私にそう打ち明けた。私達はこのことを他の消防士に理解してもらうことがどんなに難しいか知っていたので、私と彼はこのことをよく笑い話にしていた。しかし私はただ、彼が驚くべき、心の暖かい、誠実な男であることを知っていただけだった、彼がゲイであるかどうかは関係がなかった」と語っている。 ジャッジの性的指向が明らかになったことについて論争が起こらなかったわけではない。法律家のデニス・リンチはローマ・カトリック教会の公式ホームページに、ジャッジはゲイではなく、彼をゲイだと定義するのは「カトリック教会を攻撃」したがっている「同性愛活動家」によるもので、ジャッジを「同性愛のアイコン」にしようとしていると寄稿した。それに対し、ジャッジが自身をゲイだと認識していたことは、彼自身とその他の私的な記録によって証明されているとの反論があった。 ジャッジは、ローマ・カトリック教会の同性愛に関する教えを変革しようとするLGBT活動家の組織である「DignityUSA」の長期的なメンバーであった。 1986年10月1日、教皇庁の教理省は「同性愛者に関する司牧的配慮について」という書簡を出している。これは同性愛を「本質的な道徳悪に向かう強い傾向」だと宣言するもので、John Joseph O'Connorを含む多くの司教が、DignityUSAを彼らの管轄する教区の教会から追放した。ジャッジは以前に、アッシジのフランシスコ教会でのDignityUSAのエイズに関する宣教を歓迎していた。これはフランシスコ修道会によってコントロールされていたため、枢機卿によるDignityUSA追放から部分的に免れていた。 ジャッジは、表向きにはローマ・カトリックの教えに従い、同性愛を認めていなかった。様々な要素はあったが、彼は独身であり続けた。ジャッジはよく「世界には実にたくさんの愛のかたちがあります。私たちにそれらをいちいち差別する余裕がありますか?」と問うていた。
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