グンポナムギャルの乱とガンデンポタン政府とは? わかりやすく解説

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グンポナムギャルの乱とガンデンポタン政府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 10:16 UTC 版)

チベットの歴史」の記事における「グンポナムギャルの乱とガンデンポタン政府」の解説

カム地方ニャロン中国名新龍県)の領主グンポナムギャルは、19世紀半ば十八諸侯よばれるカム地方領主大部分制圧した。これらの諸侯1725年以来成都四川総督を介して兵部から冊封受けており、清は反乱鎮圧し諸侯救援せねばならない立場にあったが、清国はこの時期太平天国との戦いで、カム地方戦乱介入する余力はなかった。 清にかわってこの動乱収束させたのがガンデンポタンチベット政府である。ガンデンポタン数年かけてグンポナムギャルを打倒しカム十八諸侯旧領復帰させた。清の朝廷は、ガンデンポタン戦費支払余裕もなかったため、その代償として、ガンデンポタンニャロン(グンポナムギャルの本拠)を接収することを認めたガンデンポタンニャロンニャロン総督(ニャロン・チキャプ)を派遣し直轄地として支配した。これによりガンデンポタン勢力圏は、ディチュ河越えて東方拡大し従来名目的には四川省帰属していたカム地方東部諸侯にもつよい影響力発揮するようになった。 清は、中国における諸反乱をほぼ収束させると、清末新制着手した。「清末新制」は、清国における国家体制近代化であるが、チベットモンゴルなどに対しては、従来中国とは別個の法制行政制度のもと、盟・旗の長や土司職にある諸侯たち、ガンデンポタンなど、その民族自身による統治委ねてきた体制根本的に覆し、省・州・県を設けて中国組み込むことを目指す、というものであった東トルキスタンでは、すでに1878年に省制が施行され行政機構中国化達成されていた)。

※この「グンポナムギャルの乱とガンデンポタン政府」の解説は、「チベットの歴史」の解説の一部です。
「グンポナムギャルの乱とガンデンポタン政府」を含む「チベットの歴史」の記事については、「チベットの歴史」の概要を参照ください。

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