グループ活動終了の経緯
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「ribbon」の記事における「グループ活動終了の経緯」の解説
Qlair同様、正式な解散発表も解散関連のリリースやイベントも一切行われず、徐々に段階的に活動が減少し解体されるに至った。したがって最終となったリリースやイベントも、実施された時点ではそのような告知はされておらず、グループ消滅によって「結果的に最後」だったことが確定したもののみである。またそれらは実施時期もバラバラである。 1993年10月、シングル「夜明けなんていらない」発売。これがラストシングルとなる。 1993年12月、東京厚生年金会館でライブを行う。有料の正式ライブはこれが最後だった。これ以後グループとしての新たな展開はほとんどなくなり、活動停止状態に入る。 1994年3月、上記ライブを収録したライブアルバム「ROCK'N'ROLL RIBBON」および既発売曲4曲入りビデオクリップ集発売。グループ存続中の、ribbon単独名義での作品リリースはこれが最後である。なおビデオクリップ集については、当時「BOMB」(学研)が新譜の解説ページで「『最後の』新曲のカップリング曲ほか」と記述しており、1993年秋頃からすでにグループ活動終息に向かう動きがあった可能性が伺える。 1994年7月、ribbon&ピラニアンズ名義で2枚の限定アナログEP盤を発表。企画盤であるが、これがグループ存続中の最終リリース作品であった。 1994年10月、TBS新社屋ビッグハット完成特番にて最後の生放送出演。また、この直前、NTV系「THE夜もヒッパレ」に出演した際、「TVは久しぶりだから緊張してます!」と松野が語っている。1993年まで毎年あった夏のライブも行われずじまいで、また新曲のリリースがなくなってから1年も経っていたこの時期に、なぜ唐突にこうした仕事をしたのか理由は不明である。 このように、1994年には本格的なグループ活動はほとんどなくなっていたが、散発的に小規模な活動を続けていたことがグループがいつ頃まで存在していたのか曖昧な原因となっている。 1994年末頃(1995年に入ってからという説もある)松野の田辺エージェンシー退社により完全に消滅。もっとも、1994年に入ると上記のようにグループとしての活動がほとんどなくなったのみならず、「BOMB」「近代映画」「UP to boy」といったアイドル雑誌に3人揃いで掲載されることも激減しており、1995年以降のグループ活動再開・継続の予定があったかどうかも定かではない。実際にはすでに名目上のみとなっていたグループの存在を完全に抹消する「現状追認」といった意味合いの強い幕引きであった。
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グループ活動終了の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 06:41 UTC 版)
「ribbon (アイドルグループ)」の記事における「グループ活動終了の経緯」の解説
Qlair同様、正式な解散発表も解散関連のリリースやイベントも一切行われず、徐々に段階的に活動が減少し解体されるに至った。したがって最終となったリリースやイベントも、実施された時点ではそのような告知はされておらず、グループ消滅によって「結果的に最後」だったことが確定したもののみである。またそれらは実施時期もバラバラである。 1993年10月、シングル「夜明けなんていらない」発売。これがラストシングルとなる。 1993年12月、東京厚生年金会館でライブを行う。有料の正式ライブはこれが最後だった。これ以後グループとしての新たな展開はほとんどなくなり、活動停止状態に入る。 1994年3月、上記ライブを収録したライブアルバム「ROCK'N'ROLL RIBBON」および既発売曲4曲入りビデオクリップ集発売。グループ存続中の、ribbon単独名義での作品リリースはこれが最後である。なおビデオクリップ集については、当時「BOMB」(学研)が新譜の解説ページで「『最後の』新曲のカップリング曲ほか」と記述しており、1993年秋頃からすでにグループ活動終息に向かう動きがあった可能性が窺える。 1994年7月、ribbon&ピラニアンズ名義で2枚の限定アナログEP盤を発表。企画盤であるが、これがグループ存続中の最終リリース作品であった。 1994年10月、TBS新社屋ビッグハット完成特番にて最後の生放送出演。また、この直前、NTV系「THE夜もヒッパレ」に出演した際、「TVは久しぶりだから緊張してます!」と松野が語っている。1993年まで毎年あった夏のライブも行われずじまいで、また新曲のリリースがなくなってから1年も経っていたこの時期に、なぜ唐突にこうした仕事をしたのか理由は不明である。 このように、1994年には本格的なグループ活動はほとんどなくなっていたが、散発的に小規模な活動を続けていたことがグループがいつ頃まで存在していたのか曖昧な原因となっている。 1994年末頃(1995年に入ってからという説もある)松野の田辺エージェンシー退社により完全に消滅。もっとも、1994年に入ると上記のようにグループとしての活動がほとんどなくなったのみならず、「BOMB」「近代映画」「UP to boy」といったアイドル雑誌に3人揃いで掲載されることも激減しており、1995年以降のグループ活動再開・継続の予定があったかどうかも定かではない。実際にはすでに名目上のみとなっていたグループの存在を完全に抹消する「現状追認」といった意味合いの強い幕引きであった。
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