グムンデン=ガスタイン交響曲
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「フランツ・シューベルト」の記事における「グムンデン=ガスタイン交響曲」の解説
シューベルトの手紙に言及があるものの楽譜が見つからず、幻の存在とされてきた『グムンデン=ガスタイン交響曲』(Gmunden-Gasteiner Sinfonie) D 849(1825年)は、研究により20世紀中葉以降はハ長調 D 944 『ザ・グレート』を指している可能性がきわめて高いとされている。もともとD 944は1828年の作曲と考えられていたためにこのD番号を持ち、D 849とは別であると考えられてきたが、この根拠となっていた楽譜の年号の記述が後世の加筆によると判明し、加筆前は1825年だったものと考えられている。このことが、グムンデン=ガスタイン交響曲は『ザ・グレート』であるという証拠とされている。 一時は『グラン・デュオ』として知られる四手のためのピアノソナタ ハ長調 D 812(英語版)がD 849の原曲ではないかと言われ、ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムがその説に基づいてオーケストレーションを施したこともある。
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グムンデン・ガスタイン交響曲
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「交響曲第8番 (シューベルト)」の記事における「グムンデン・ガスタイン交響曲」の解説
シューベルトは、幻の「グムンデン・ガスタイン交響曲」なる曲を作曲したとされる。これは作曲家の日記や手紙から1825年に彼がグムンデンおよびバート・ガスタインに滞在し、そこで作曲したとされるものであるが、その曲がどれに当たるかは解明されていない。このD 944の交響曲は、かつては直筆譜の日付から1828年の作曲と考えられてきた。しかし用紙のすかし模様が25年ごろに用いられていたものと一致すること、28が25の読み間違いの可能性があることなどの理由から、現在では1825年から26年にかけての作曲であると考えられている。このため、このD 944が「グムンデン・ガスタイン交響曲」ではないかとする説が有力となっている。 後に、シュトゥットガルトでD 849にあたるとされるホ長調の交響曲の筆写譜が「偶然に発見」され、ギュンター・ノイホルト(英語版、ドイツ語版)指揮のシュトゥットガルト放送交響楽団による演奏の録音が南ドイツ放送でFM放送され、また出版され、ゲルハルト・サミュエル指揮のシンシナティー・フィルハーモニー管弦楽団でCD化された。この交響曲はD 944と主題がそっくりで、演奏時間は60分ぐらいと規模も同じであり、D 944のための下書きとして書かれたものとも考えられ、これがグムンデン・ガスタイン交響曲ではないかとも考えられた。しかし後日、このD 849とされたホ長調の交響曲は1973年にヘンレ社に楽譜のコピーを提供したグンター・エルショルツ (Gunter Elsholz) がシューベルトの残した断片を再構成した偽作であることが判明した。
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