交響曲第8番 (シューベルト)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/04 18:41 UTC 版)
フランツ・シューベルトの交響曲第8番(こうきょうきょくだいはちばん)ハ長調 D 944 は、1825年から1826年にかけて作曲され、1838年に初演された4楽章からなる交響曲[1][2]。
注釈
- ^ ウィキペディアの他言語版の記事は「第9番」とするか、もしくは番号を用いないものがほとんどを占める。
- ^ 日本では「天国的な長さ」として紹介されていることが多いが、「天国 Himmel」の形容詞形 himmlisch は「素晴らしい」という賞賛の表現でもある(現代英語の heavenly にも同種の意味がある)。また、当時婚約者であったクララ・ヴィークに宛てた私信にもこの表現が使われている。両者の前後の文脈を見ても、字義通りに天国に喩えたと読むのは唐突で不自然であり、議論の余地がある[3]。
- ^ 『ロザムンデ』と『死と乙女』を指しているものと考えられている。
- ^ シューベルトがベートーヴェンの演奏会に行ったことを報告するような手紙は残っていない。しかし先述のクーペルヴィーザーへの手紙に「5月初めにツェリスに行く」[4][要ページ番号]と書いているにもかかわらず、父親にツェリス到着を知らせる手紙は5月31日付で送られている。ドイチュはこのズレを「5月7日にシューベルトはまだウィーンにいた」つまりベートーヴェンの演奏会で『第9』を聴いたものと推測している。
- ^ 2003年に刊行されたベーレンライター出版社の新校訂版の序文では、シューベルトの自筆譜に鉛筆による追加・修正が数多く見られることから、楽友協会が作曲者同席で試演を実施した可能性に言及している。
- ^ ライププチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のホームページによれば、「ザ・グレート」の再演は1839年12月12日、続いて1840年3月12日と3月26日にいずれもメンデルスゾーンの指揮で行われている。
- ^ 『第9』の楽譜がショット社から出版されたのは1826年で、この曲の完成後。そのため「シューベルトが第9の初演(もしくは再演)を聞いていた」という説の補強材料として挙げられている。
- ^ アーノンクール指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団など。
出典
- ^ Neue Schubert-Ausgabe(新シューベルト版)
- ^ Musikwissenschaftliches Institut, Neue Schubert-Ausgabe, Schubert-Datenbank. 2013-04-03 閲覧。
- ^ himmlische Länge. Robert Schumanns Artikel zu Schuberts C-Dur Symphonie
- ^ a b オットー・エーリヒ・ドイチュ 著、実吉晴夫 訳『シューベルトの手紙―「ドキュメント・シューベルトの生涯より」』メタモル出版、1997年5月1日。
- ^ “Wie fälsche ich richtig?”. www.augsburger-allgemeine.de. augsburger-allgemeine (2011年6月3日). 2020年5月20日閲覧。
- ^ Tom Service (2014年6月17日). “Symphony guide: Schubert's Ninth ('the Great')”. ガーディアン. 2022年3月13日閲覧。
- ^ 外部リンク
- 1 交響曲第8番 (シューベルト)とは
- 2 交響曲第8番 (シューベルト)の概要
- 3 解説
- 4 データ
- 5 脚注
- 交響曲第8番 (シューベルト)のページへのリンク