クロマチン研究の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 06:56 UTC 版)
1882年、ドイツの細胞学者フレミング (Walther Flemming)が、特異的な染料によって染められる細胞核内の構成要素を示す用語として、クロマチンという言葉を提案した。 1974年、オリンズら (Ada & Donald Olins) は、電子顕微鏡を用いクロマチンのビーズ状構造を初めて可視化した。 1974年、コーンバーグ(Roger Kornberg)は、X線回折、生化学、ヌクレアーゼ消化実験の結果をもとに、ヒストンとDNAから構成されるクロマチンの繰り返し構造のモデルを提出した。 1975年、シャンボン (Pierre Chambon) らにより、この繰り返しのユニットを表す用語として、ヌクレオソームという言葉が提案された。 1976年、クルーグ (Aaron Klug) らは、電子顕微鏡観察をもとにして、30 nmファイバーのソレノイドモデルを提出した。 1997年、リッチモンド (Timothy Richmond) らは、ヌクレオソームの結晶構造を2.8オングストロームの解像度で決定した。 1990年半ば以降、ヌクレオソームをダイナミックに変化させる活性(クロマチン・リモデリング活性)やヒストンを修飾する活性が相次いで発見され、クロマチン構造の機能的な重要性が再認識されるようになった(ヒストンの項参照)。
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