クアナ・パーカーの降伏とテキサス・インディアン戦争の終結
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「テキサスのインディアン戦争」の記事における「クアナ・パーカーの降伏とテキサス・インディアン戦争の終結」の解説
マッケンジーは医者で基地の通訳であるジェイコブ・J・スタームをクアハダ隊の降伏を交渉させるために派遣した。スタームは、「その部族民に大きな影響力を持つ若者」と読んでいたクアナを発見し、平和的に降伏させるために説得した。マッケンジーは自らクアナが降伏するならば、名誉をもってその部隊を待遇し、誰も攻撃はされないという伝言を送った(1871年のカイオワ族指導者の逮捕と裁判がそれを可能なものにしていた)。一方でスタームは降伏を拒む男、女および子供なら誰でも捕まえるというマッケンジーの言葉も伝えた。クアナは後に死ぬ用意があったと語ったが、女性や子供達を死なせることは嫌った。クアナはもし自分が降伏しなければ、あらゆる男、女および子供が捕まえられ殺されると言ったときのマッケンジー大佐を信用した。クアナはあるメサ(周囲が急斜面で頂上が平らな地形)に馬で乗り進み、そこで1匹のオオカミが彼の方に向かって来て吼え、小走りで北東に立ち去るのを見た。頭上には1羽の鷲が「のらくらと滑空し、羽を羽ばたかせてシル砦の方向に向かった」とスタームが後に報告した。これはお告げだとクアナは考え6月2日に現在のオクラホマ州にあるシル砦にその部隊を連れて行き、降伏した。この日、平原インディアンは独立した部族としては消滅し、その生活様式は完全に破壊された。 アメリカ陸軍に対して平原部族の最後に指揮したクアナ・パーカーは疲れもしらずに、自分達を潰したイギリス人の世界に部族民が抵抗できるように働き始めた。仇敵であるマッケンジー大佐からコマンチェ族の唯一の酋長に指名され、白人の世界で教育と生きて行くための能力を部族民にもたらすよう懸命に努めた。クアナはその部族民の土地がまとまっているように務め、それが政治的に難しくなったときには、その部族民のためにできる最善の取引を行うよう努めた。
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