キリスト教の立場からみた場合のキリストの墓が存在する可能性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 01:38 UTC 版)
「キリストの墓」の記事における「キリスト教の立場からみた場合のキリストの墓が存在する可能性」の解説
キリストの遺骸を祭る墓があるかもしれないと主張する人たちも居る。他の宗教の場合と異り、キリスト教においては、キリストの遺骸は失われたのではなく、信仰上存在しないということをまず踏まえなければならない。 まったくキリスト教を信じない人は、イエス・キリストが人であったのならば、その遺骸は存在するだろうと考えるかもしれない。しかし、それを祭る墓があるためには、イエス・キリストその人を信奉する人たちの存在を仮定しなければならない。 その墓があるためには、イエス・キリストを信奉するが、その肉体が天に上げられたのではないと信じる人が居なければならない。これは正統的なキリスト教からすれば異端となる。グノーシス主義的なもののひとつ、エビオン派の養子的キリスト論を、分かりやすい例として挙げる。彼らによれば人間イエスと神性キリストを区別する。人間イエスはナザレのヨセフとマリアの間に産まれた子であって、彼が洗礼者ヨハネから洗礼を受けたときに聖霊が降り、神の子イエス・キリストとなった。また、十字架につけられるときにキリストの神性はイエスから離れた。十字架上で死んだのは人間イエスであって、キリストではない。 この考えに立てばキリストは一足先に天に昇っているから、人間イエスの遺骸は地上に残されているはずである。しかしこの思想では、キリストが去ったあとの人間イエスの遺骸を信奉する意味も無くなるので、墓が存在する理由には多少無理がある。 イスラム教の『クルアーン』に登場するイーサー(イエス)は、十字架にはつけられておらず、つけられたのは身代りだとされている。身代りの人物が誰であるかはいろいろだが、この話は16世紀までにはヨーロッパにも伝わっていた。最近では、バーバラ・シーリング(またはスィーリング)が弟ヤコブが身代わりをしたという説を唱えている。 イエスが十字架で死なずに生き延びて、別の地で手厚く葬られたのならば、その墓があるかもしれない。
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