キャンペーン開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 06:07 UTC 版)
「ディスカバー・ジャパン」の記事における「キャンペーン開始」の解説
キャンペーンの計画が立てられ始めたのは開始の約1年前、すなわち大阪万博の約半年前だという。 そして、キャンペーンは万博終了の1ヵ月後の10月14日(鉄道の日)から始まった。従来のキャンペーンは特定地域に絞ったものが多かったが、「ディスカバー・ジャパン」は「日本を発見し、自分自身を再発見する」をコンセプトに、全国的に進められた。このキャンペーンは広告代理店の電通が全面的にプロデュースを行い、副題も含めたキャンペーン名も電通の創案による。当時電通でこのキャンペーンを企画した藤岡和賀夫によると、コンセプトとしては「ディスカバー・マイセルフ」であったが、「マイセルフ」の部分の表現として「美しい日本と私」という副題が出てきたという。このフレーズが、川端康成のノーベル文学賞受賞記念講演「美しい日本の私」に似ていることに気づいた藤岡は、川端にキャンペーンでこのフレーズを使うことを打診したところ、快諾された上にポスターに使う揮毫までもらうことができた。また当初副題は三島由紀夫に依頼したが断られたという。 藤岡の回想では、開始当初このキャンペーンの名前に関しては「国鉄がなぜ英語を使うんだ」といった非難や、アメリカで1967年に実施された「ディスカバー・アメリカ」という国内旅行を促すキャンペーンの二番煎じなどといった批判があったという。 このキャンペーンは 車内や駅のポスター以外に種々のメディアでも宣伝された。駅スタンプはそれまで特定観光地にしか設置されていなかったが、このとき設置駅を1400に増やした。その他にも機関紙の発行、新聞での特集記事、テレビ番組の設定などが、キャンペーンを盛り上げるために実行された。 主要30駅(上野駅や東京駅など)の駅前には、3年間の期間限定で「ディスカバー・ジャパン・タワー」が設置された。日立製作所のカラーテレビキドカラーの宣伝列車「日立ポンパ号」は、「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンと連動した。
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