ガートルード・スタインとの関係
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「アリス・B・トクラス」の記事における「ガートルード・スタインとの関係」の解説
1906年4月18日に起きたサンフランシスコ地震の5か月後、トクラスはサンフランシスコを離れてパリに移り住んだ。パリに到着した翌日の9月8日、トクラスはガートルード・スタインと出会った。この出会いがきっかけとなり、2人は1946年にスタインが亡くなるまで40年近く交際を続けた。 フルリュース通り27番(英語版)の家に住んでいた2人は、毎週土曜日に自宅でサロンを開き、アーネスト・ヘミングウェイ、ポール・ボウルズ、ソーントン・ワイルダー、シャーウッド・アンダーソンなどのアメリカ人作家や、パブロ・ピカソ、アンリ・マティス、ジョルジュ・ブラックなどの前衛画家が集まった。 トクラスは、スタインの親友であり、恋人であり、料理人であり、秘書であり、ミューズであり、編集者であり、批評家であり、全般的な世話人であった。しかし、スタインがトクラスの回想録という形で書いた『アリス・B・トクラスの自伝(英語版)』(The Autobiography of Alice B. Toklas)を1933年に出版するまでは、トクラスはスタインの影に隠れた存在であった。この本はベストセラーとなった。 W・G・ロジャーズは、この2人についての1946年に出版された回想録の中で、トクラスのことを「少し猫背で、どこか引っ込み思案で、控えめにしている。彼女は椅子に座るのではなく、椅子の中に隠れるようにしている。こちらを見るのではなく、見上げるようにしている。彼女はいつも人の輪の半歩外側に立っている。要するに、彼女は雑用係ではなく、乏しい人間関係、つまり結婚式に招待されても披露宴に出ない人のように見えるのだ」と書いている。ジェームズ・メリル(英語版)は、トクラスに会う前から「小さな背丈、サンダル、口ひげ、目」については知っていたが、「夕暮れのビオラのような彼女の話す声の魅力」については予想していなかったと書いている。 トクラスとスタインは、1946年にスタインが亡くなるまでパートナーだった。
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